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2012年1月15日日曜日

8か月、テレビなしの生活をして

正月に実家に帰り、テレビを前に食っちゃ寝のんじゃ寝の1週間で、久しぶりにテレビをじっくりと見て、思ったところ。

4月に大阪のメーカーに就職し、寮住まいが始まると同時に、テレビのない生活が始まった。
情報源は、朝食の時読む新聞と、通勤電車で眺めるTwitterのみ。。
ここ2カ月くらいは、朝食をオフィスでパンを食べるようになり、電車の中も本を読むようになり、アクチュアルな情報とはほぼ接触のない生活。。。

ここで苛まれるのは、自分が社会と繋がっていない!!という焦り。
去年は、やはり特別な1年だった。3月に地震があって、原発事故は今も尾を引き、夏場は節電、秋には大阪統一選。。新聞やらである程度情報は得ていたけれども、世間の空気がよくわからない。地震は忘れ去られていないか、原発に対して正確な情報が報道されているのか、大阪統一選はお祭りに騒がれているだけなのか、なでしこがかわいいというのは本当なのか。。。

正月に久々にテレビの前にいると、、地震の報道はされていた。忘れられてなどいなかった。むしろ忘れていたのは自分だった。

もっと社会と繋がらないと!社会の空気に触れていないと!!

と思って、正月はテレビを見続けた。
紅白の歌手たちは、みな想いを込めて歌っていた。その想いは心地いいものだった。個人的に、被災地で活動をなさっている方もいた。一般の市民が、結構な人たちが現地に行ってボランティアをしていることも知っていた。日本が一つになっているような気がした。
ただ一方、被災地を中心にぽっかり穴があいているような、ドーナツの美味しいところだけが盛り上がっているような、そんな不安を感じないではいられなかった。

そもそも、社会に繋がっている、とはどういうことなのか?
自分は昨年4月からテレビなしの生活で、社会に繋がっていなかったのか?
否、決して引き籠りになっていたわけじゃない。むしろ、新入社員の研修では100人くらい新しい人と話したし、製造の十種では現場の方々と2ヶ月間8時間以上ライン作業を共にしたし、正式配属の後はあた新しい先輩方と一緒に仕事をしているし。。
とにかく、社会を人と人とのつながりとするならば、いろいろな社会と繋がってきたのが昨年だった。

それでも自分はテレビが見たい。
この気持ちの根幹には、その現実的に繋がっている人々、みんなが知っていることを自分が知らないのは怖い、っていう不安があった。
知りたい、という欲求は、知らないと怖い、という不安と表裏になっている。
だから、見る→知る→安心という一方的な行為の中で、無意識無批判思考停止状態にはまってしまう。。

震災を機に、テレビ界においてはこの、「見る→知る→安心」が一層蔓延している気がする。
日本が一致団結しなければならないという状況下で、Populismが加速している気がする。

実際的に社会に繋がっているからこそ、テレビを通した、真の実態の見えにくい社会との繋がりを求めるのか。
今日、兄貴が余分に持っていたPc用のテレビチューナーを送ってもらった。
身の回りの社会が危機にさらされている今、だからこそ、テレビというメディアを通した社会に熱い視線が注がれている今、どういう報道がされているのか、自分はどうテレビと関わっていくのか、なでしこのロンドンはどうなるのか、しかと見届けようじゃない。

2009年8月11日火曜日

Goerge Rodger

今日、ジョージ・ロジャーの写真展がVersicherungskammer Bayernというところでやっていたので、ふらっと見に行ってきた。

ジョージ・ロジャーというのは1908年生まれイギリスのフォト・ジャーナリストで、第二次大戦時はアメリカのグラフ雑誌ライフの戦争特派員として活躍した。彼の仕事で最も知られているのは、解放直後のナチス・ドイツ強制収容所を撮影した写真だろう。しかし、その筆舌に尽くしがたいであろう光景を前に、それをキレイな構図に収めようとそれのみに苦心している自分に対しショックし、それ以後は戦場には出向かず、主にアフリカで写真を撮り続けた。

死者はそこかしこにいた。その数四千にもおよぶといわれる死体を、構図の整った写真におさめようとしている自分に気づいた。いったいぜんたいわたしはどうなってしまったか。こんなことがあっていいはずがない。何かがわたしを変えてしまったのだ。世の人々にこのことを伝えるためにも。この情景を写真に撮らねばならない。したがって、わたしとしては何もしないで立ち去ることはできない。そこでわたしは、風景か何かでもとるように。死体を具合のよい構図におさめ、写真を雑誌社に送った。(1989年10月,BBC2のインタビュー)

この展覧会で強制収容所での写真は3枚あり、展覧会全体の構成としては戦時中の写真と戦後の写真と時系列に両方とも展示されていた。構図の美しさは戦時中のも戦後アフリカでの写真も変わらない。注意深く見なければ、強制収容所の写真も別の多くの写真のうちの一部として見過ごされてしまうかもしれないくらい。それでも彼は美しい写真を撮ることをやめなかったが、対象は戦争からアフリカの小さな村での情景に変わった。ではどうして、彼はアフリカを撮ることにしたのだろうか?

いつかの投稿で、「アンリ・カルティエ=ブレソンの写真にオリエンタリズムはないのか?」と問いが成り立つということについてチラッと書いた。世界の現実を伝えるという使命の裏にオリエンタリズムが潜んでいるという問いは「近代世界の覇者である西欧」の人間になら誰にでも通じるはずだ。ましてや、ジョージ・ロジャーもカルティエ=ブレソンも戦後ロバート・キャパと共にマグナムを立ち上げたメンバーの一人である。

けれども、戦中、更に強制収容所での一連の写真を見た後、彼のアフリカでの写真を見ていると、ジョージ・ロジャーにその問いを投げかけるのは馬鹿げているという気がしてきた。というのは、彼はその西欧世界の最も残酷な側面を目の当たりにし、自分がその一員であることを誰よりもはっきりと自覚させられた人だからだ。

アフリカの写真の中には、女の人のポートレートが何枚かあった。彼女らは胸こそはだけているが、西欧の女の人と同様様々な装飾品を身につけている。その最たるものが肌に浮き上がる傷模様だ。肌を傷つけそこに木の灰を擦り付けることで治癒後にその傷が浮き上がり模様になるという。彼の戦中の写真と戦後の写真とで一番違うところは、戦後の写真では彼は美しいものを写真に取っているという点だ。しかも、西欧の価値観とは全く別の価値観による美しさ。

ジョージ・ロジャーは、アフリカのとある村の女の美しさをオリエンタリズムの言説のように自己を定立させるための征服の対象としてではなく、むしろ西欧世界の価値観を転覆させるための絶対的美しさとして、捉えていたように自分には見える。西欧からは文明に対して野蛮または未開の地として捉えられるアフリカに彼が戦後赴いたのは、西欧から、またその西欧の一員である自分から逃げ出し、未開の地の美しい価値観に身を置くためだったのじゃなかろうか。

2009年6月22日月曜日

ドイツでスポーツ中継を見ていて気になること


最近、結構暇もできてテニスの試合やらサッカーの試合やら、ご飯食べながらテレビで見たりするのだけど、その中で気になることがある。
たとえば、今日なんか、サッカーのコンフェデの試合でアメリカ対エジプト戦をやっていたのだけど、
エジプトのことを「アフリカ人たちが攻め込んでいきます・・・」みたいな感じで、
ドイツのスポーツ中継ではよく「○×△□人」という風な言い方をする。
サッカーの国際試合ならまだ団体競技だし、「エジプト」というのと「エジプト人」というのとあんまし違わないか・・・と思わないでもないけど、「アフリカ人」っていうのは・・・
テニスの試合でも、たとえばフェでラーの試合なんかのときに、
「フェデラー」とは呼ばずに「このスイス人」という言い方をすることがある。

これはスポーツ中継に限ったことじゃなくて、先週まで発表の準備のためにコソボ地位問題の文献をよく読んでいたのだけど、その中ではよく「セルビア人」「コソボ-アルバニア人」という言い方がよく出てきていて、
自分もそれに習った言い方をしたのだけど、今から考えたらやっぱりおかしい。

最近アジアの政治経済について議論しあう学生の集まりに参加していて、その中で日中戦争について発表があったときのこと。
「日本人は中国に侵攻を始めて・・・」
何度もそう言われるとさすがにいい気はしない。

自分=日本では決してないけれど
自分=日本人では必ずしもないにしろ、
自分←日本人(自分こそThe 日本人)でもないにしろ、少なくても
自分→日本人(私は日本人です)というのは成り立つ。

そうすると、だんだん確かに当時の日本人がやったことだけど、今の日本人がやったわけじゃないし、
自分がやったわけでも断じてないけれど、いい気はしない。
これがもし「日本が中国に侵攻して・・・」といわれていてもやっぱりあんまりいい気はしないだろうけど、
それならまだ自分と当時のひとつの国家との間に距離を置いて冷静に見れる。
けど、「日本人」といわれると、私も日本人ですが・・・ってなる。

これは、自分と日本、日本人との同一化が起こっていることのひとつの顕れで、
それ自体否定するつもりはない。
だからドイツ人が自らをドイツ人と呼ぶことを否定するつもりも毛頭ないけれども、
どうしてわざわざ「○×△□人」という言い方を多用するのか、全く意味がわからない。

そういう風に他者を「○×△□人」呼ぶことの裏には、自分たちが「ドイツ人」であるという前提がある。
近年EUという枠組みの中で更なる国境を越えた同一化と差別化が進む社会の中で、
必死に「ドイツ人」というアイデンティティを守ろうとする、
それと同時に他者を排除し自己を守ろうとする、
そんな仕組みの一つなんだろうか。

2009年5月29日金曜日

「旅行と写真」再考、旅行のあとで

先週末、ポーランドに行ってきた。
クラカウからミュンヘンに留学しに来ている友達が連休に実家に帰るのに一緒にお邪魔させてもらった、っていうなんともおいしい旅行だった。
旅行自体についてはまたいずれということで、今日はちょっと旅行と写真についてまた考えてみた。
というのは、今回の旅行で物心ついて初めてフィルムカメラのみで写真を撮ってみて、デジカメで写真とるのとはずいぶん違うな、って思ったから。

デジカメだと、撮ったらすぐその場で写真を確認できて、その確認を通してイメージが記憶として焼きついて行く感じがする。
けど、フィルムカメラだと現像・プリントしてみないとどんな写真だかわからないから、イメージは自分の目からのみ記憶される。

で、そのイメージの記憶っていうのを呼び起こそうとしてみたのだけど、なかなかうまく行かない。
もともと記憶力はよくないと思うのだけど、本当医者に診てもらおうかと思うくらい思い出せない。
っていうか、旅行のこと自体についてもあんまし覚えてない・・・

とか考えているうちに、旅行から帰ってからまだ旅行についてほとんど誰にも話してないことに気づく。
後からその経験について語るとか、自分でそのことについて考えるとか、そういうことを通して記憶っていうのは形成されていくんじゃないか。
英単語一度見ただけじゃ覚えられないのと一緒、何度も繰り返さないと覚えられない。

とすると、前の投稿で書いた「イメージのデータ化」自体はやっぱりそれほど悪いものじゃない。
むしろ問題は、それとプラスα何を記憶して、何を導き出すか、ってとこだよね。
ってことで次回は、旅行で経験したこと自体について書こうと思います!


Am letzetn Wochenende war ich in Polen.
Ein Freund aus Krakau ist nach Hause gekommen und ich bin ihm gefolgt.
Auf dieser Reise habe ich nur mit einer Filmkamera Fotos gemacht, die ich in Deutschland gekauft habe.

Wenn ich mit Digitalkamera gereist bin, habe ich immer Fotos nachgeschaut, gleich nachdem ich sie fotografiert hatte, so dass ich im Kopf voll mit Image dieser Fotos erfüllt war. Nach der Reise schaue ich immer wieder die Fotos, dann bilde ich mich ein, als würde ich mit dieser durch Kamera nachvollzogenen Images erfahren, welche ich als die Reise erkennen werde.

Aber dieses Mal habe ich die Fotos in Krakau jetzt noch nie geschaut. Mein Gedächtnis der Reise besteht nur aus meiner direkten Erfahrungen, die von den Fotos noch nicht reproduziert wurde.
Ich versuche mich mal daran zu erinnern, was ich dort erfahren habe.
Tortzdem kommt es mir nur weniger ein als erwartet.
Es wäre besser, wenn ich mich ärztlich untersuchen lassen würde.

Langsam habe ich erkannt, dass ich von der Reise noch fast niemandem erzählt, d.h. dass ich die Erfahrungen niemals wiederholt habe.
Mit der Wiederhohlung ordet man die Erfahrungen ein und bildet das Gedächtnis.
Die Fotos anzuschauen ist auch ein Teil der Bildung des Gedächtnis.

Was man dann für wichtig halten soll, ist, nicht dass man nicht die Fotos anschaue, sondern was man von der Reise herausfindet.
Nur durch die Widerholung der Reise im Kopf kann man die Erfahrungen verdauen.
Reproduzieren muss man doch, und wichtig ist, was man dadurch lernt.
Nur mit der Lehre kann die Reise ein Wert halten.

2009年4月23日木曜日

良心のなせるシステム

良心とは、大辞泉によると、

善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き。

のことだそうだ。
何が善で何が悪なのか、何が正で何が邪なのか、
これを判断して、これが正しい!と思った通り行動しようとする心の動きのことが良心というわけだ。

電車でチケットを買って乗る、
知らない人を車に乗せても誘拐はしない。
逆に、チケットを買わずに電車に乗ったら、
知らない人を車に乗せて誘拐したら、
良心の呵責を感じるというよりかは、
罰金を取りに来る検察を恐れたり、警察に捕まって罰せられるのを恐れるほうが自然だろう。
そう考えると、チケットを買ったり誘拐をしなかったりするのは、
良心というよりかは罰則を恐れるからではなかろうか。

けれどもさすがに、誘拐をしないのは、
誘拐をしたら誘拐された人が可哀そう、
罪のない人の自由を奪うのは間違っている、
という良心が働いているのかもしれない。
っていか、もともとそんな誘拐なんて考える人ほとんどいないのだろうけど。

でも、「ほとんどいない」じゃなくて「全然いない」じゃなければ、
このドイツにおける車相乗り制度は成立しないはずで、
実際google.deで検索したところこの車相乗り制度に関する事件は起こっていないようだ。
そうなると、この車相乗り制度は乗せる側にも乗る側にもWin-Winなシステムというだけでなく、
(とりあえず今のところは)良心のなせるシステム、と言えそうだ。

ドイツを旅行する際には、是非ご利用あれ。
http://www.mitfahrgelegenheit.de/

2009年4月22日水曜日

黒乗りと車相乗り

今日、SendlingerTorという地下鉄の駅で一斉検察が行われていた。
駅の出口という出口に駅員さんが待ち構えていて、ちゃんとチケットを持っているかどうかチェックしているのだ。
改札口を通らなければ電車に乗れない日本とは違い、ドイツでは改札口がない。チケットを買うか買わないかは乗客の良心に任されている。
ドイツはなんてお行儀のいい国なんだ。。そう思うかもしれない。

ただし、たま~に電車に乗っていると検察が来る。電車の扉がしまった途端、
「チケットおねがいしま~す!」
チケット無しで乗っていたら、40ユーロ払わなければならない。
ドイツ語も英語も全然わからない振りをしたら大丈夫だとか、いかれた宇宙人のマネをしたら逃がしてもらえただとか噂は聞くが、基本的に言い逃れはできない。

自分は、ドイツではひっかかったことはないが、危なかったことはある。
やばい!来た!!検察官が一人ひとりのチケットを確認し、あぁもうだめだ・・・
って思ったら自分の隣の人もチケットを持っておらず、先にチェックされた彼は犠牲となり検察官と共に次の駅でホームに降ろされた。おかげで自分は助かった。
でも、ドキドキしすぎて寿命が3日くらいは縮まったと思う。

とにかく、40ユーロは大きい。
ただ乗りして40ユーロ払う羽目になるくらいならチケットを毎回買った方がいい。
それに、常に検察が来ないかドキドキしながら電車に乗り続けるよりか、
ちゃ~んとチケットを買ったほうが心臓にもよっぽどいい。
つまり、良心でチケットをちゃんと買っているのではなく、罰金が恐ろしいからチケットを買っているのである。
少なくても自分はそうだ。


ところで、もう一つ良心に任されたドイツのシステムに、車相乗り制度というのがある。
簡単に言うと、例えば、「そうだ、京都へ行こう!」といきなり思い立ったとする。
が、新幹線はちと高い。とある学生は東京から京都まで車で帰郷するのだけど、助手席に1座席空きがある。もったいないな~そこで、車相乗り制度のサイトに経路と日時と待ち合わせ場所、更に値段と電話番号をを書き込みをする。
後は電話で連絡を取り、待ち合わせ場所で落ち合い、車で一緒に京都に行く。

自分は、ベルリンからミュンヘンに帰るときに一度利用しただけなのだけど、
ぶっちゃけ結構不安だった。本当にミュンヘンまで連れて行ってもらえるのか、
途中で森の中に連れ込まれたりしないから、
不正なお金を請求されないか・・・
一応何も起こっていないから成立しているシステムなのだろうけど、
さすがに女の子ひとりでの利用はお勧めできないかも。

それでも、何も互いに信頼できる根拠は何も関わらずこの車相乗りシステムこそ真の良心のシステム!
ICEでベルリンからミュンヘンまで帰ったら100ユーロするところ、30ユーロで済んだ。
車のドライバーもその30ユーロでガソリン代を浮かすことができた。
互いにハッピー♪
けど、これって果たして良心なのであろうか?

2009年2月12日木曜日

Orientalismus aus Orient (1)

Photo: Slimes Mädchen in München
Das deutet Sehnsucht der Deutschen nach slimen Mädchen an.


Warum sind japanische Mädchen in Europa so beliebt??

In Europa allgemein sind japanische Mädel so beliebt, aber japanische Jungen nicht. Das wird allgemein von Japanern gesagt. Aber ist es wirklich so? "Ja" muss ich leider sagen. Eine japanische Freundin von mir interessirt sich auch dafür, und eine Fernforschung in einem Museum gemacht. Sie ist auf einem Sofa im Museum gesitzt und hat gezählt, wie viele Paare von Asiatin und Europäer vorbei gegangen sind. In eine Stunde hat sie über zehn Paare von Asiatin und Europäer gesehen, und nur ein Paar von Asiater und Europäerin.

Warum die japanische Mädel von Europäern so beliebt?? So hat die Forscherin einen europäischen Freund gefragt, die natürlich eine japanische Freundin hat. Er sagte, die japanische Mädel seien so klein, slim, nachgiebig und süß. Keine Überraschung. Manchmal habe ich schon genau solche Aussage gehört. Dazu erzählte er, dass es so cool aussehe, mit einer Asiatin auf der Straße zu laufen. Diese Meinung ist für mich ganz neu. Das heißt, eigene Europäer halten es für symbolisch cool, mit einer Asiatin zusammen zu sein. Aber, warum denn? Auf diese Frage konnte ich keine Antwort finden. Ich wollte wonach alle Europäer fragen, welche eine asiatische Freundin haben. Meine Kollegin hat aber dazu eine ganz interessante Hypothese aufgestellt, und zwar: „orientalische“ Elemente von japanischen Mädeln faziniert Europäer.

Was heißt aber „Orientalisch“?? Nach DUDEN heißt orientalisch: „den Orient betreffend, dem Orient, den Orientalen eigen“, und “Orient: „vorderer und mittlerer Teil Asiens“. Aber das Wort „Orient“ stammt von lateinischen Wort, „oriens“, das „Osten“ heißt. Deswegen heißt Orient nicht nur die bestimmte Orte, sondern auch allgemein östliche Orte, zu denen Japan auch gehört. Bevor Kolumbus Amerika „entdeckt“ hat, hatte für Europa der Osten die andere Welt bedeutet, mit der sich Europäer noch nicht so gut auskannten. Daraushin möchte ich ganz einfach „Orient“ so definieren, und zwar: Orte, mit denen man sich nicht gut auskennt.

Was man noch nicht erfahren hat, ist manchmal sehr fazinierend. Beispielsweise wollte ich einmal im Ausland wohnen, weil ich einfach noch nie im Ausland gewohnt hatte. Die Leute, die man noch nicht so gut kennt, sind auf dieser Art auch manchmal fazinierend. Jetzt kann ich schon verstehen, warum Europäer japanische Mädel sehr gerne haben. Sie wissen nicht so viel von den japanisichen Mädel, deswegen wollen sie einfach wissen. Aber das Problem ist, dass es fast keine Europäerinnen gibt, die orientalische Element von japanischen Jungen faziniert werden. Das kann man nicht mit dieser Orient-Theorie erklären. Doch, man kann schon, wenn man sich so auf der negativen Dimension von Orient-Theorie fokussiert, wie Edward Said "Orientalism" kritisiert hat.

2009年1月31日土曜日

Überlegung über den 3. Weltkrieg

今日は、国際関係論の主要テーマである戦争について、ちょっと考えてみました。
日本語は下にあります、つっこみどころ満載なのでぜひぜひ突っ込んでくださいw

Ich studiere Internationale Beziehung.
Internationale Beziehung, es geht um, wie der Krieg entsteht.
Hier würde ich gerne einmal an die Möglichkeit der Ausbruch des 3. Weltkrieges denken.

Glücklicherweise bricht der 3. Weltkrieg noch nicht aus.
In der Tat können die Kriege nach dem 2. Weltkrieg so klassifizieren.
- Mächtiger Staat gegen kleinen Staat (Irak Krieg)
- Kampf gegen Terrorismus von mächtigem Staat (Afghanistan Krieg)
- Kleiner Staat gegen anderen kleinen Staat (Balkan Krise)
- Kampf gegen Terrorismus von kleinem Staat (Gasa-Krise von Israel)
Es gibt keine Kriege zwischen mächtigen Staaten.
Ich denke, dass es dazu drei Gründe gibt.

(1) In der Zeit des Kalten Krieges funktionierte die kollektive Sicherheit in Rahmen des Mitbewerbes zwischen der NATO und des Warschauer Taktes.
Durch diese Bipolarität wurde der Umstand, "balance of power" gehalten.
Nach dem Ende des Kalten Krieges ist die Bedrohung in Osten, UdSSR verschwunden und die draushin entstehende Unipolarität von den USA unterdrückt Kriege zwischen Großmächten.

(2) Es gibt ein Element, das weder während des Kalten Krieges noch nach dem Ende des Kalten Krieges verändert wird, und zwar Atomare Abschreckung.

(3) Die Großmächten wurden durch den zwei WeltKriegen schrecklich zerstört und beschädigt. Zahlreiche Leute sind ausgefallen. Diese Erfahrungen spielen eine Rolle bei dem Frieden zwischen den Großmächten.

Also, insoweit diese Bedingungen weiter gehalten wird, bricht weder der 3. Weltkrieg noch Kriege zwischen mächtigen Staaten aus.
Worauf steht dann die Gefährlichkeit, dass solche Kriege ausbrechen??
Es gibt schon ein negatives Element, und zwar Erscheinung der neuen kleinen Staaten, die Atombonben besitzen oder besitzen werden, wie Iran oder Nordkorea.
Sie haben keine Erfahrung vom Weltkrieg, und es kann sein, dass solche Staaten atomaren Angriff nehmen, wenn sie rationale Optionen weggeworfen haben.
Aber, wenn auch solche Länder atomren Angriff nehmen würde, würde es nicht zum 3. Weltkrieg kommen, weil keine mächtige Staaten sie unterstützen würden.

Möglichkeit des 3. Weltkrieges liegt in der Erscheinung der unrationale Aktuere, die Atombomben besitzen. Trotzdem wird der 3. Weltkrieg nicht ausbrechen, insofern die atomare Abschreckung aufgrund der Uniporalität von den USA weitergeht und die kollektive Sicherheit zwischen den mächtigen Staaten gehalten wird.


第二次大戦後、まだ第三次大戦は起こっていない。
第二次大戦後の戦争は以下のように分類できる。
・大国 対 小国 (ベトナム戦争、イラク戦争)
・大国 対 政府組織 (米国によるアフガニスタン侵攻)
・小国 対 小国 (中東戦争、バルカン危機)
・小国 対 政府組織 (イスラエルによるガザ攻撃)
以上のように、大国 対 大国の戦争は起こっていない。
これには、以下3つ理由がある。

(1)冷戦期には東西冷戦という枠組みの中で勢力均衡が維持された。また、冷戦後はアメリカによる権力の一極集中により大国間の平和は維持された。
(2)冷戦期も冷戦後も、核抑止は機能し続けている。
(3)大国、特にヨーロッパの大国において、2度の世界大戦の苦い経験が戦争を抑制する効果を果たしている。

このように、第二次大戦後、第三次大戦、大国間における戦争は起こっていない。
上の3つの条件が維持される限り、第三次世界大戦は起こらないと考えられる。
しかし逆に、それに当てはまらない状況から第三次大戦が起こる可能性が生まれる。
その一つの兆候が例えば、イランや北朝鮮など核兵器を所持している、または所持しようとする小国の出現である。
これらの国は世界大戦で酷く破壊された経験もなく、非合理的な核攻撃という政策を取る可能性がないとは言えない。
それでも、たとえこれらの国が核攻撃を選択したとしても、彼らを支援する国はないだろうから大国による集団的な反撃にあい、世界大戦には発展しないものと思われる。

このように、第3次世界大戦の可能性は非合理な主体が新たに核兵器を手に入れることで発生すると考えられるが、大国による核抑止と集団的安全保障が機能する限り、世界大戦は起こらないだろう。

2009年1月20日火曜日

座禅、してみたw


先日、とあるところで日本で1年修行したという人から座禅の話を聞く機会があった。
結局、座禅が何なのかはよく分からなかったのだけど、結局自分でやってみないとわからないよ、
っていうことだったので、やってみることにした。

さて、ここで皆さんにも座禅の仕方を紹介しましょう♪
まず、クッションを用意し、そこに座りましょう。
あぐらみたいだけど、足を手前に組むあの座り方で。
両手は手前で軽く重ね(指は織り込まない)、親指を合わせる。
目は閉じず、軽く視線を落とす。寝ちゃだめってw
大切なのは、背筋をピンと伸ばすこと!

これだけだそうだ。な~んて簡単。
どうしてこんなこと一生懸命やっている人がいるんだろう??
日本に1年いて毎日座って背中叩いてもらってた人がいるっていうんだから、不思議でたまらん・・・

ってことで、僕もさっそくやってみました。
レポートで、テーマはもうはっきりしているし、問いも立てたのだけど、どうアプローチしようか悩んでいた時、
あ、座禅でもしてみるか!と、現実逃避したというのが本当のところww

ところがどっこい、15分後には、頭がすっきり軽くなって、
課題に対するアプローチの方法もあらかた決まって、
後に残ったのは背中の痛みだけっていう。猫背だからなあ・・・

座禅って、現実逃避の精錬された型なのじゃないかな?
何の誰の役にも立たない。ただ座ってるだけ。
寝るわけでもない。背中は痛くなる。

それでも、
泥水だった水が、時間が経つと下に泥がたまって澄んだ水になるように・・・
済んだ心持ちになる。
意識ははっきりしながら、何もしない。
ただ、自分の心と立ち会う。
すると、ぐちゃぐちゃにかき乱れた頭が心が静まってゆく。

何かに行き詰ったら、疲れたら、やる気が全然でなかったら、
こんな現実逃避もお勧めですよ^^

2009年1月18日日曜日

BMW博物館を巡りながらとりとめもない話


突然ですが、BMWって何の略だかご存知ですか?
正解は、Bavarian Motor Works
Bavarianっていうのは、バイエルンのってこと。
そういうわけで、ミュンヘンにBMWの美術館があるわけですね。



BMWは第一次大戦中に操業を開始、
もともとは飛行機のエンジンを造る会社だったようです。
それが、バイク、車と範囲を広げていきました。
ところが今は、バイクと車しか造っていませんね。
飛行機の会社といえば、エアバスはフランス、ボーイングはアメリカ、
日本とドイツがいくら経済発展しても飛行機は造っていない。
ドイツで技術系の博物館に行くと、2つの世界大戦と技術産業との関係が垣間見える。



けど、日本もドイツも第2次大戦後戦争は経験していない。
国際政治の世界でパワーポリティクスがなくならない限り、軍事力の重要性は保たれ、それに後押しされて技術は発展し続けるのかもしれない。
でも、それだけが技術発展が推奨される理由じゃない気がする。
それにしては技術ってかっこよすぎる。



ところで、BMW博物館で車の歴史っていうのを見てみると、
車って発明以来、小さな変化は重ねつつも、根本的な変化はありませんよね。
箱があって運転座席があって、石油でエンジンが動いて、4つのタイヤが動く、っていう。
それでも、時代と共にその機能はひたすら洗練されている。
なんか、テニスに似ているな。100年前からラケットでボールを打つっていうルールは全然変わってないけど、
ラケットっていう道具も、打ち方も、よりよい機能を求めて洗練されている。



どうしてテニスは洗練される必然性があるのか?
そんな理由はよく分からないけど、サンプラスとかフェデラーのテニスは美しくすらあった。
車が洗練されるのも、技術が洗練されるのも、同じような理由があるんじゃないかしら。

2009年1月5日月曜日

Back to the Future

晦日の昼間、たまたまテレビをつけたらBack to the Futureのラストシーンが・・・

ドクとマーティはなぜだかは忘れたけど、とにかく西部劇の世界に。
マーチンはデロリアンに乗り無事現在へ帰還を果たすが、
ドックは愛しの人に告白されてうっとり、夢うつつのまま過去に取り残される。
もうドクとは会えない・・・マーティは現在において恋人のジェニファーと悲しみにくれる。
そこに、いきなりめっちゃかっこいいデロリアン機関車Ver.に乗ったドッグが恋人と2人の子どもと共に現われる。
一通り再会を祝した後、ジェニファーは「You are fired」って書かれていたはずの紙が白紙になっていることが気になり・・・

ジェニファー「紙に書かれていたはずの文字が消えたんだけど、どういうこと?」
ドック「未来は誰にもわからない。まだ白紙ってことさ!!」


なんか、よくわからんけどこのシーンを見てたらやたらと感動した。

そういえば昔、Back to the Futureって題名について、
「未来に戻る」ってどういうこと?未来には戻れないでしょう??
って不思議だった。ここで勝手に解釈してみると、

一通り過去を振り返った後には、また未来に立ち向かってかなきゃいけない


まぁ、晦日まではこんな風にちょっと年末っぽいこと考えてたんだけど、
大晦日からは正月三が日にかけてはベルリンパーティ旅行、
年末も新年もそっちのけで遊んでましたとさ、笑。

2008年11月25日火曜日

新雪に

自分が部屋に篭っているいつの間に、
こんなに雪が積もっていた。
新雪のクツクツいうのが堪らなく気持ちいい。





今日、ドイツに来てから初めてプレゼンした!

先週の火曜、国際関係論のゼミ中に、日本の話題が出たにも関らず、
ドイツ語がようわからんし、
そもそもなんかようわからんし、
まったく発言できない自分がいて、
授業中に独り泣きたくなり。。

というのは、soさんがいつかブログで言ってたみたいに、
「授業に、さしては学問に貢献したい」って言う気持ちがあるのに、
まったくできてないって言う絶望。
自分が交換留学生としてドイツに来ているのに、ドイツの学生に全く貢献できていない、
=自分の存在はないに等しい、っていう悔しさ。

それを今日、少しは晴らせたと思う。
けど同時に、ただの自己満足っていう可能性も十分あり。
友達は、すごくよかったって言ってくれるけど、
ドイツ語できないわりにはがんばったね、って意味なのか、
内容がよかったよ、って意味なのかは不明。

残念だけど、たぶん前者。
それにしても、そのドイツ語さえ友達のドイツ人に全部直してもらってるから、自分の力じゃないし。
それでも、ここはおだてられるがままに、
授業の後わざわざよかったって言いに来てくれた人の言葉を糧に、
これからも精進いたします。

ちなみに、発表は大正デモクラシーについて。
内容はというと疑問を呈する形で終わっていて議論にもなっていないのだけど、
まぁ以下のとおりです。

******************************
1919年、原内閣の成立は政党政治の始まり、
つまりは民主主義への第一歩として認識されているが、
原内閣の制限選挙改革をみると、原が目指したものが人民を中心とした政治の実現ではなく、
政友会により政治支配であったことがわかる。
ここで、それなのになぜ原内閣の政党政治が「民主主義」として認知されたのか?
という疑問が生じる。

この疑問に対して当時の国際関係における日本の位置から一つの答えを出すために、
次に原内閣の第一次大戦後におけるパリ講和会議における人種差別撤廃案に目を向ける。
第一次大戦後、世界における列強の一角の地位を占めると自負した日本は、
同時に唯一の非白人国として自らが差別されているのではないかという自意識に苦しめられていた。
この状況から見ると、人種差別撤廃案とは普遍的な人種的平等ではなく、
西欧列強に対する日本のみに対しての人種差別的意識の撤廃を意味していたといえる。

このように、「白人=文明人」にあこがれると同時に、「白人=支配者」に対抗するというアンビヴァレンスな状態を、小熊英二は『<日本人>の境界』のなかで「有色の帝国」と定義した。
大正期日本における「デモクラシー」という言説をこの「有色の帝国」の中に当てはめると、
「デモクラシー」とは、「白人=文明人」にあこがれるがゆえに、その一員となるためのベールであり、
また「白人=支配者」に対抗するゆえの帝国主義を覆い隠すためのベールであったのではないか?
と考えられる。

ちなみに、現在自らを民主主義と名乗っていない国は、
サウジアラビアとビルマ(ミャンマー)のみ・・・
北朝鮮も、朝鮮民主主義人民共和国。

2008年11月2日日曜日

日本人が外国語が苦手な一つの理由?

今日の夜は、とある日本人の元東大教授の家に御呼ばれして、御飯をいただいた。
その中の、ポテトをすりつぶしてぺちゃんこにして多めの油で焼いたのがチヂミに似た味がしておいしかったから、今度ビールのつまみに作ってみようと思った。

写真はイメージです。
光り物の刺身が食べたい・・・


という話は置いておいて、いくつか面白い話があった中の言葉についての話をここでは紹介しようと思う。

すなわち、
日本語は、他の言語に比べて音の数が極端に少ない。
英語やドイツ語には2千3千の音があるのに対し、日本語は100程度しかない。
するととにかく、日本語には同音語がたくさんあることになり、例えば、
「それはカテイの問題だ」
と言われたときに、言われた側はそれが「過程」なのか「家庭」なのか「仮定」なのか、
一度音を漢字に変換してからじゃないと理解できない。

どういうきっかけでこういう話になったかはうる覚えなのだけど、
確か日本人の学生は、他の国、ヨーロッパからの留学生はもとより、韓国、中国の留学生と比べてもドイツ語の習得が特別に遅いという話から飛んだのだと思う。

確かに、昨日、フィンランド、アイルランド、アメリカ、チェコから来た留学生と飲んでいたときのこと、
全然難しい話をしているわけじゃないんだけど、ドイツ語も英語もちゃっかり僕だけ分かってないんだよねw
文字に書き起こしてくれれば分かるんだろうけど、(多分そうすると彼らも文法はめちゃくちゃなんだろうけど、)
とにかく耳が違う。自分だけ耳が遠くてもう老いが!?って感じ。
なんでだろう?って考えてたんだけど、上の話を使うとこれも説明つく。

日本語を使っているとどうしても、
言葉⇒発音⇒漢字⇒意味
という風に、音の少なさから言葉の意味が漢字を媒介して理解される。

それが、英語やらドイツ語やらだと、
言葉⇒発音⇒意味
という風に、媒介するものがない。これは、言葉と発音が1対1対応しているため、意味が直接理解されるから。そのためには、
言語がたくさん音を持っていないといけなくて、それを使い分け聞き分けるために自然と耳もよくなるはず、というわけ。

つまり、日本語を母語としている人には、音をキャッチするアンテナが発達しておらず、そのために言語の習得も遅いのではないか、
っていうのが僕の仮説なのだけど、どうでしょう??