2008年11月22日土曜日

犬が喜び庭駆け回る初雪が舞う

今日は火曜日、本が借りられる日!
(政治学部の図書館は週末しか本を借りることができないw)
って思って本持ってカウンターに行ったのに、、
カードがない!!!

ごめんなさい、カードがないと貸してあげられないのよね・・・

そりゃそうですよね、親身に哀れみをこめて言われると、こっちもあきらめざるを得ない。
まじかぁ、明日また来るしかないかぁ、今日はもうかったるいし、、

とかって思って外に出たら、さっぶぅぅぅ

なんか、顔にぴちぴち当たるし。

ようく見ると、心なしか雪が舞っている

!!!!!!!!!!
なんかテンションあがる♪♪♪

家帰ってビール飲みながらトンカツ揚げて食べて、
図書カード持ってさっそくまた外へ出かける。



これ、ゴミ箱じゃないよ。新聞箱だよ。
街の中では、なかなか雪の痕跡を探すのが大変。
大きな街はからっと寒い、っていうイメージがあったけど、
意外と暖かいのかも。



犬は喜び庭駆け回り、
猫はコタツで丸くなる。
さて、あなたはどちらのタイプ??

2008年11月21日金曜日

時に願いを






0.2秒後、
この世界は逆転する。














そして10秒後、
彼女は僕の存在に気づく。












けれども3ヵ月後、
2人はまたこうしてすれ違う。












それでも10年後、
あなたはこの時を思い出す。

2008年11月20日木曜日

ドイツ人とビールを飲みながらサッカー観戦



今日は、同じ階に住む東大にも留学していたあの人と一緒にビールを飲みがら
ドイツ対イングランド戦を見た。

テレビをつけたときには、すでに1点のビハインド。
基本的にものすごくまじめで、物静かな彼が、その後、豹変する。

イングランド、ライト・フィリップスのシュートがバーに当たる。
「Neeeein, waaaas!!!!!????? Got sei dank, Got sei dank...」
(なぁぁぁんってこったぁぁぁ。ラッキィラッキィ。。)

そのシュートシーンのVTRが流されると、ゴールキーパーがボールに触れていたことがわかる。
「Richtig schoooen. Das war ein Schutz, Das war ein Schutz...」
(おぉぉ、触ってる!!よく守った、うん、よく守った。。)

イングランド、ディフェンス陣のミスで、動転に追いつく。
が、その時、彼は僕に向かって話しかけていて、ゴールシーンを見逃すw
「Waaas ist denn passiert?? Tor, Tor!??」
(え!?何、何??入ったの!???)

イングランド、終了10分前にジョン・テリーのゴールで勝ち越す。
「...........」

「aber, gut gespielt, gut gespielt. Kein Abseits, kein Abseits」
(けど、いいプレイだよ、うん。オフサイドもないし、うん。。)


いやぁ、こんな熱い奴だとは。
ぜひ一度、スタジアムに一緒に言ってみたいものです。



ちなみに、写真に特に意味はないです。
豆電球のソケットの大きさを覚えておくために撮ったのが、
なんか面白いかなぁぁ、って思ったのだけど、何も見出せない。。
右側にチラっと移ってるのは、ビールビンの蓋。

2008年11月19日水曜日

ドイツの人は紙を食べる??

ドイツのパンには・・・



なぜかシールが貼ってある。
しかも、、、




きれいに剥がせない。。


2008年11月18日火曜日

今日は unbelievable kalt

久々の晴れ間
最近は寒さが身に沁みる
モンゴルからの正規留学生の友達が一言
今朝6年ぶりにロシア語はなしたから・・・
とか言い訳しつつ

今日は unbelievable kalt!
(今朝まじ寒かったよw)

2008年11月17日月曜日

継続は力なり、されども。

今日もバドミントンをした。
毎週末、土日のどちらかは行くようにしている。
始めた頃より、ちょっとはましになった気がする♪

最近会うと、
「ハッローショヘイ!」
と声をかけてくれる、つんでれおじさんと一緒に、
(自分の調子が悪いと機嫌が悪くなったり、基本愛想はよくないw)、
コートのやや前のほうに立って、ネットすれすれを狙いつつピュンピュンと至近距離で打ち合う練習があるのだけど(ドライブって言うのだっけ?)、
それをやった。

ところが、テニスの延長みたいな感じでバドミントンもしている僕は、
打つ前にぴょんぴょん飛んでしまう。
スプリットステップというのだけど、テニスでは相手が打つ球にすばやく反応するために、
相手が打つ瞬間に着地するように軽くその場でステップを踏む。
これをバドミントンでもやってしまうのだ。
どうやら、これはバドミントンではいらないらしい。
と、よく見回してみると、確かに僕以外はだれもやってない・・・

距離が短い分テンポが速く、
ステップを踏む暇もないだろうか。
スプリットステップをしないと何かサボってる気がして、
違和感を感じながらも突っ立ってやってみると、
慣れるとこれが意外とうまく行く。
どっしり構えて動かないと、目線もブレないから、羽の軌道がよく見える。

継続は力なり、それを実感。
ドイツ語は全く伸びた気がしないけれども。。

でも、とにかくどたばた必死にやればいいって訳でもない。
量より質、それも実感。

2008年11月16日日曜日

オリエントからのオリエンタリズム①

先日、といってももう1ヶ月くらい前になるけど、今橋映子の『フォト・リテラシー』という本を読んだ。

その中で、自分にとって興味深かったのが、
「HCB(アンリ=カルティエ=ブレッソン)が異文化を撮った写真の中にオリエンタリズムはないのか?」
という議論だった。

実際、「興味深かった」なんていう生易しいものではなくて、何も考えず自分の好奇心に従いナイーブな旅行を繰り返してきた自分をガツンとぶん殴ったのが、
そもそも「写真における異文化表象」とは何か、説明するために引用された次の中平卓馬「旅のもつ詐術」からの一節だった。


「私は、同世代の多くの写真家たちがアメリカへ行き、ヨーロッパ、あるいは遠くアフリカ、ラテンアメリカへ出掛けて撮ってくる写真に感動させられることがほとんどない。 (省略)私はすぐに、あれこれの土地、あれこれの場所に出向いてゆくならば、ただその気になりさえするのなら、そのようにひとびとは生き、事物は存在しているのだろうと、一気に全てを<了解>してしまうのだ。(省略) 一言で言ってしまえば、これらの写真には一様に、旅行者だけが持つ甘えた感傷とそれと裏腹にあるつきなみな希釈された好奇心がべったりと貼りついている」


別に、自分の好奇心の源泉に疑問を今まで疑問を感じていなかったわけではなかったけれど、
「甘えた感傷」「つきなみな希釈された好奇心」とはっきり批判されると動揺せずにはいられない。

次に今橋(敬称略)は、異文化撮影の対象として東方(オリエント)を挙げ19世紀後半におけるオリエント写真の隆盛を指摘し、「<東方>に対する知識の総体」を意味した「オリエンタリズム」という用語が、西ヨーロッパの植民地支配体制が拡大された時代において次のように意味が変わることを、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』におけるオリエンタリズムの定義から説明する。
すなわち、オリエンタリズムとは、


「近代世界の覇者である西欧が、征服の対象である一つの世界を認識し、表象する行為を通して、自らと異なるもの、<他者>として定立し、その<他者>との対比によって自らを<主体>―征服し、認識し、表象する能力の独占者―として定立することを可能ならしめる(完全に意識化されていないが、イデオロギー的に機能する)言説」


「近代世界の覇者である西欧」を「近代東アジア世界における覇者である日本」と読み替えれば、この図式はそのまま「日本人」の自分にも当てはまることになるわけか。

そして今橋は、前述の「旅におけるエキゾチシズムの詐術を見抜いた」中平卓馬の評言に、「支配者側の人間が他者としての異文化を見る眼差しの政治性を加味すれば、そのままオリエンタリズムの問題系に移転する」、として両者を同列に扱い次のように結論付ける。


「表現者にとって、未知の世界の、異なる事物の発見であったつもりが、実に何百年にも及ぶ文学や映像の常套化した表象の焼き直しに過ぎないとすれば、その表現者の『眼の記憶』の中に、エキゾチシズムやオリエンタリズムはすでに埋め込まれていることになる」

そして、カルティエ=ブレッソンの写真においても「確かに無意識に固定化された観念」を読み取るべきだ、と。


昨日、2007年の春に行ったインド旅行の写真を少しUPしてみた。
あのインド旅行からは1年半経っている。

もはや自らの中に染み付いているエキゾチシズムやオリエンタリズムを否定することは不可能だ。
とすると、とりあえずできることは

果たして、僕の「確かに無意識に固定化された観念」とはどういうものなのだろうか?

考えることしかないだろう。