2009年8月14日金曜日

2009年8月12日水曜日

リスボンで見つけたマスコットたち

アリスのうさぎ


男子トイレ


ビカチュー


コタマ



エルピス


ダースペーター



エイリアン

2009年8月11日火曜日

Goerge Rodger

今日、ジョージ・ロジャーの写真展がVersicherungskammer Bayernというところでやっていたので、ふらっと見に行ってきた。

ジョージ・ロジャーというのは1908年生まれイギリスのフォト・ジャーナリストで、第二次大戦時はアメリカのグラフ雑誌ライフの戦争特派員として活躍した。彼の仕事で最も知られているのは、解放直後のナチス・ドイツ強制収容所を撮影した写真だろう。しかし、その筆舌に尽くしがたいであろう光景を前に、それをキレイな構図に収めようとそれのみに苦心している自分に対しショックし、それ以後は戦場には出向かず、主にアフリカで写真を撮り続けた。

死者はそこかしこにいた。その数四千にもおよぶといわれる死体を、構図の整った写真におさめようとしている自分に気づいた。いったいぜんたいわたしはどうなってしまったか。こんなことがあっていいはずがない。何かがわたしを変えてしまったのだ。世の人々にこのことを伝えるためにも。この情景を写真に撮らねばならない。したがって、わたしとしては何もしないで立ち去ることはできない。そこでわたしは、風景か何かでもとるように。死体を具合のよい構図におさめ、写真を雑誌社に送った。(1989年10月,BBC2のインタビュー)

この展覧会で強制収容所での写真は3枚あり、展覧会全体の構成としては戦時中の写真と戦後の写真と時系列に両方とも展示されていた。構図の美しさは戦時中のも戦後アフリカでの写真も変わらない。注意深く見なければ、強制収容所の写真も別の多くの写真のうちの一部として見過ごされてしまうかもしれないくらい。それでも彼は美しい写真を撮ることをやめなかったが、対象は戦争からアフリカの小さな村での情景に変わった。ではどうして、彼はアフリカを撮ることにしたのだろうか?

いつかの投稿で、「アンリ・カルティエ=ブレソンの写真にオリエンタリズムはないのか?」と問いが成り立つということについてチラッと書いた。世界の現実を伝えるという使命の裏にオリエンタリズムが潜んでいるという問いは「近代世界の覇者である西欧」の人間になら誰にでも通じるはずだ。ましてや、ジョージ・ロジャーもカルティエ=ブレソンも戦後ロバート・キャパと共にマグナムを立ち上げたメンバーの一人である。

けれども、戦中、更に強制収容所での一連の写真を見た後、彼のアフリカでの写真を見ていると、ジョージ・ロジャーにその問いを投げかけるのは馬鹿げているという気がしてきた。というのは、彼はその西欧世界の最も残酷な側面を目の当たりにし、自分がその一員であることを誰よりもはっきりと自覚させられた人だからだ。

アフリカの写真の中には、女の人のポートレートが何枚かあった。彼女らは胸こそはだけているが、西欧の女の人と同様様々な装飾品を身につけている。その最たるものが肌に浮き上がる傷模様だ。肌を傷つけそこに木の灰を擦り付けることで治癒後にその傷が浮き上がり模様になるという。彼の戦中の写真と戦後の写真とで一番違うところは、戦後の写真では彼は美しいものを写真に取っているという点だ。しかも、西欧の価値観とは全く別の価値観による美しさ。

ジョージ・ロジャーは、アフリカのとある村の女の美しさをオリエンタリズムの言説のように自己を定立させるための征服の対象としてではなく、むしろ西欧世界の価値観を転覆させるための絶対的美しさとして、捉えていたように自分には見える。西欧からは文明に対して野蛮または未開の地として捉えられるアフリカに彼が戦後赴いたのは、西欧から、またその西欧の一員である自分から逃げ出し、未開の地の美しい価値観に身を置くためだったのじゃなかろうか。