2010年9月15日水曜日

Kosovo Report (1) Pristina



2010年9月14日、イスタンブールからコソボへ向かう。2008年2月の独立宣言から2年半の経ったコソボはどんなところなのか・・・




空港に降り立ってまずびっくりしたのは、その規模の小ささ。飛行機は自分が乗ってきたのともう1機しか止まっていない。バッゲージクレームも二本しかない。
ちなみに上の写真は入国審査の様子。コソボ人、外国人の区別はなし。少し驚いたのは、出国時の関税検査。金属探知機は基本。怪しそうなやつはバンバンかばんを開けられている。もちろん自分もひっかかった。




空港の外に出ると、ん??どうやって市内まで行けばいいんだ!?目に入るはタクシー。でも、しつこい客引きとかはあまりいない。バスはないかと探すも、ない。というか、いつもなら空港にあるInformationに聞けば何でもわかるのだけど、Information自体がない。空港からバスがないのは、デンパサールに続いて2度目。仕方なくタクシーの客引きの話を聞く。1人は20Eur、もう1人は15Eur。そら後者でしょう。結局なんだかんだ、ホステルまでということで17ユーロになったのだけど、大体相場そんなところらしい。




ちなみに、タクシーからの風景はこんな感じ。草原の風景を基本に、ぽつぽつとレンガ造りの建物が散在している。草原の雰囲気もレンガ造りの建物もヨーロッパっぽいのだけど、タクシーの運ちゃんの音楽は完璧にイスラム風。



彼が、タクシー運転手のホンティ。彼は1990年から99年まで10年間、家族と共にドイツのデュッセルドルフで暮らしていたという。ミロシェヴィッチの圧制から逃げてきたのだろうか、詳しくは聞けなかった。
彼によると、紛争中多くのコソボ・アルバニア人がドイツに逃げたため、コソボ・アルバニア人の2分の1はドイツ語が話せるよ!お前はドイツ語ができてラッキーだ!と豪語していたが、今のところ彼以外にドイツ語を話す人にあったことはないw
ということで次回は、プリシュティナの不思議な街の様子を紹介します。