2008年11月14日金曜日

2008年11月13日木曜日

Waltz with Bashir (ネタバレ有w)

午後暇だったので、ふらっと映画館に入ってみた。
ドアを開けるとすぐ、おじちゃんが独りチケットを売っており、
チケットはまだあるか?と訊いてみると、、

「100以上の様々な席からお選びいただけますよ」

だって、笑。
5ユーロ払って中へ入る。


今日見たのは、アリ・フォルマン監督の『Waltz with Bashir』
イスラエル人である監督が、イスラエルによるレバノン侵攻に従軍した時の記憶が抜け落ちていることに気づき、共に従軍した戦友のもとを訪れ話を聞くことで、失われた記憶を取り戻そうとする物語り。

明かりが暗くなり、映画が始まった!と思ったら、なんとこの映画、ラストシーンを除いてアニメーションだった。
ラスト、自身主人公である監督が、最後まで抜け落ちていたパレスチナ難民虐殺の記憶を思い出す。
そのイメージも始めアニメーションで映し出されたのが、いきなり虐殺後のベイルートを撮ったニュース映像に切り替わる。
そこで観客は、アニメーションの背後からも聞こえていた悲鳴が、現実のものであることに気づく。
最後、カメラは虐殺で死んだ子どもの顔をアップで写して終わる。

なぜ、監督はラストでのみアニメーションではなく現実の映像を使用したのだろうか?
簡単に思い浮かぶ答えは、ラストでのみ現実の映像を使用しアニメーションと対照させることで、映像のリアリティを高めそれを観客の記憶に深く刻もうとした、というもの。
確かに、衝撃はあった。
自分は、ドイツ語力の問題で、セリフの10パーセントくらいしか理解できなかったにもかかわらず、ラスト・シーンから深い衝撃を受けたということは、イメージが人の心を動かす力を持ったということを現実に示している。

しかし逆に、ラストシーンのイメージが衝撃的過ぎて、それまでのアニメーションで語られたものがないがしろにされるのではないか?
という疑問がここで生じる。
ラストシーンのためだけにそれ以前のアニメーションがあった、と言われればそれまでだが、
アニメーションを通して戦友から語られる言葉が、もともと監督が戦友をインタビューしたそのものの音声だった、ということを聞けばそうもいかなくなる。

ここで驚きなのは、自分が家に帰ってネットで映画について調べるまで、この映画がドキュメンタリーであったということに気づかなかったことだ。
自分の鈍感という原因以外に、映像がアニメーションであったというよりむしろ、音声が吹き替えられていたということに原因がある思う。
吹き替えでは、語り部の微妙な声の抑揚から感じられる感情の変化など全く感じられなかった。
本来、戦友に対するインタビューはそれ自体、記録として意味を持つべきもののはず。少なくても自分には、それがアニメーションによるフィクションとして捉えられてしまった。

広瀬隆一の『Nakba』では、パレスチナにおける問題が40年以上にもわたる取材をもと描かれ、第一義的に歴史の記録したドキュメンタリーとして十分すぎる意味を持つものだと思う。)

これが翻訳によって起こった忌忌しき事態だとすれば、
映画のインタビューの部分のみを取り出して考えた場合、音声のみ本来のものを用い、映像はアニメーションを用いた意図はなんだったのか?(敢て動きの少ないアニメーションを用いることにより、現実の音声に注意を向けさせリアリティを高める?)
例えば字幕で見たら、どういう風に見え方が変わるのだろうか?

また、言葉はイメージの捉えられ方を方向づける。今回ドイツ語がわからかった僕はこの映画をほぼイメージだけで捉えたが、そもそもドイツ語がわかれば、もっと違った見方(ひょっとしたら違った見方)ができるはず。言葉がわかっていれば、ラストシーンの捉え方も変わったのだろうか?

2008年11月11日火曜日

11月9日

一昨日、11月9日は、

僕がドイツに来てから2ヶ月!

っていうのもあるのだけど、ベルリンの壁崩壊から19年目の日でした。

6年前、この壁を始めてみたときの衝撃は・・・残念ながらもう忘れてしまった。

というのは、
今から思い返してみると、これがあのベルリンの壁か!!というような圧倒されるような衝撃ではなく、

え?これがあのベルリンの壁!?タダの壁ジャン!!!

というように、
それが東西冷戦の象徴であり、そのせいで家族と離れ離れになったり、超えようとして200人弱もの人が命を落としたという悲劇の壁が、
言われなければ気づかずに通り過ぎてしまうくらいただの壁であるということに対する、
あまりに静かながら後にジリジリ響くような衝撃だったからだと思う。




さて、ここで問題。
右と左、どちらが東でどちらが西でしょう??
ヒントは…ちゃんと見て考えれば分かるはず。
正解者には、ベルリンの壁をプレゼント、笑。

2008年11月10日月曜日

ベランダ、猫と太陽

ベランダと猫

寮にはベランダがあるのだけど、
見ての通り、お隣さんとそのまたお隣さんとそのまたお隣さんとも、
一続き。
そこで、そのまたお隣さんが飼っている猫が、
時々僕のところにも遊びに。
いつか養子にして引き取ってやろうと、
手なずけようと必死。


ベランダと太陽

昨日今日と、久々に太陽。
陽が射した時には、
唐辛子盆栽をベランダ際に。
バドミントン出かけると、
前まで無愛想だったおっちゃんが、
最近はニッコリ笑ってくれる感じに。

2008年11月9日日曜日

日韓ぶんかろん

とある誕生日会での一コマ。

絵の勉強をしている韓国の女の人に会った。
なんでもドイツの方が若い芸術家に門が広く開かれているため、この秋にパリからミュンヘンに移ってきたらしい。

ひょんなとこから、話はまたまた日中韓の文化について。
日中韓の文化の中でも、特に日韓の文化が似ている、と。
kazushiもそんなことコメントしてくれてたなぁ、って思い出して、
どうして?って訊いてみた。
彼女曰く、


中国はコミュニズム、
韓国はその中国と一線を画すべく特に戦後自らを変えようとしてきたし、
中国と韓国の間には北朝鮮があった。
この政治制度の違いから、日本を始め他の資本主義国との文化交流が多かった。
また、韓国は日本に30年間占領されていた。
韓国と一番文化が似ているのは、台湾かもしれない。

この話を聞いたときに、どこか納得できなかった。
まず、自分には中国が「コミュニズム」っていうイメージがすごく薄い。
国が経済をコントロールした結果、皆が平等な暮らしができる、っていうコミュニズムの理想状態から中国があまりにかけ離れてるから。
それに、中国の人と話したときに中国はコミュニズムだから違うんだ、なんて感じたことが自分はない。
(そんなに数は多くないし、海外に来ている中国の人としか話したことはないけど。)

次に、その話からすると日本と韓国のかかわりが強くなったのは1910年韓国併合から今まで約100年。
それに対して、中国と韓国が陸続きに強く結びついていた過去数千年の歴史をどう説明するのか。
日本と韓国のどの部分が似ている、ということは話さなかったから分からないけど。

最後に、韓国と台湾の文化が一番似ているのが、
両国とも韓国にとっては北朝鮮、台湾にとっては中国という共産国家のダイレクトな脅威にさらさる中、自国を差別化を図った結果だとすれば、その差別化はどのようになされたのか。


話がこれ以上深まることはなく、
ヨーロッパにいると、やっぱり東アジアの人とは話しやすいよね、
という方向に落ち着いていく・・・

僕は、台湾にはたった2泊だし、韓国・中国には行ったことがない。
だから、自分の東アジアに対してのイメージの多くは、
「ヨーロッパにいると、やっぱり東アジアの人とは話しやすいよね」
ってとこから出発している。
この距離感ってすごく心地いいけど、東アジアに対して知識も経験も足りないくてちょっと薄っぺらい。

中国・韓国行かねば!