2009年5月16日土曜日

La Chine est encore loin (China is still far away)

La Chine est encore loin (China is still far away)
Malek Bensmaïl, French, Algeria 2008

ミュンヘンのドキュメンタリーフェスで最優秀賞と10.000ユーロを授けられた。
アルジェリア、とある村の小学校の話。熱心にフランス語の授業が行われつつ、歴史の授業では1954年に始まるアルジェリア独立戦争が語られ、放課後にはコーランが大声で唱えられる・・・
余計な説明は一切挿入されない。カメラの存在も感じさせない。映像のクオリティも高い。
一見ドキュメンタリーというより普通の映画さえ見えるけど、世界をそれ以上でもそれ以下でもなくそのものとして映画に置換しているという意味で、確固たるドキュメンタリーって言えるかも。
また見直してみたい映画。

2009年5月13日水曜日

Japan, A Story of Love and Hate

Japan, A Story of Love and Hate
Sean MacAllister, Japan/UK, 2008

ミュンヘンで行われていたドキュメンタリーフェスで、イギリス人のジャーナリストが日本のワーキングプアを題材にした映画を見た。ただワーキングプアを扱ったドキュメンタリーとしてより、自分はどっちかっていうとナオキとヨシエのラブストーリーとしていい映画だ。
この映画はイギリスBBCやフィンランドの映画祭でも上映されたらしい。で、この映画について海外でこの映画を見た日本人と思しきレビューで、こんな日本が日本の全てだと思われると困る、日本人として恥ずかしい、というような趣旨のコメントがあったのだけれども、それは批判としてあまり意味をなさないと思う。このドキュメンタリーで映し出されているのが例え日本の一部分に過ぎないとしても、一部分に過ぎないといって看過するのでは意味がない。郵便局で仕事の前でラジオ体操をしているところとかも含めて、滑稽かもしれない、されども日本の一部分ではあるとして受け入れることのほうが先だろう。
また、ナオキさんのことを女のヒモ同然でどうしようもないやつだ~っていうような批判もあったけど、本人としては、そんな風に蔑まれることは十分承知の上、映画へ出演したんだと思う。ワーキングプアっていう社会的問題の裏には、その社会を動かしている人間の弱さがある。社会的問題のみならず、普段誰も見せたがらないし見たがらない人間の弱さも映し出したことに、この映画は価値がある。その意味で、自分のダメさすら曝け出したナオキさんに僕は、蔑みよりもエールを送りたいと思う。


Im diesen Film ist sogenannte "working poor" in Japan aufgenommen, die solange wie möglich arbeiten, aber trotzdem wegen des niedrigen Gehalts immer noch arm sind.
In Japan bringen sich selber über 30.000 Leute ums Leben, und ungefähr ein viertel von ihnen begehen Selbstmord auf der wirtschaftlichen Grund. Sie werden nicht getötet, aber sie ermorden sich selber. Den Umstand Japans finde ich genauso bedenklich wie z.B. Armut in Afrika.

Der Film stellt das gesellschaftliche Problem Japans erfolgreich dar, ager fokussiert sich gleichzeitig auf der Beziehung zwischen Naoki und Yoshie selber. Naoki war früher ein reicher Mann, aber jetzt arbeitet er als "part time" auf dem Post 7 Stunden und verdient ungefähr 40 Euro pro Tag. Nachdem er aus seinem "full time" Job entlassen wurde, wohnt er bei seiner Freundin, Yoshie. Sie ist 27 Jahre alt und arbeitet 14 Stunden pro Tag. So ernährt sie seinem Freund, der etwa doppel älter als sie und genauso alt wie ihr Vater ist.

Was in diesem Film unübersehbar ist, ist die Rolle des Regisseurs. Während der Aufnahmzeit wird er nach und nach mit Naoki befreundet. Wenn man sich dem film anschaut, fühlt man sich, als würde man mit Naoki zusammen trinkt und redet. Darurch verändert sich Naoki und versucht, sich und die Beziehung mit seiner Freundin zu verbessern. Der Film ist nicht bloß ein Dokumentarfilm, sonder auch eine Liebesgeschichte.

Children of the Pyre

Children of the Pyre (trailer)
Rajesh S. Jala, Indien 2008

Im Film ist indische Kinder aufgenommen, die "die Scheitenhaufen am Ufer des Ganges brennen", d.h. "die Leichen der Menschen brennen". Gange, besonders am Ufer des Ganges in Varanasi, ist fur Hinduismus der heilige Flus und jede Hindu wollen da sterben. Ich selber war einmal in Varanasi, habe auch die Leiche in die Asche gebracht werden gesehen und war sehr beeindruckt, weil die Szene am Ufer des Ganges sehr menschlich und lebensvoll war. Denn die Menschen sterben, gebrannt werden, Asche werden und ins Flus fliesen lassen werden, in dem nicht nur die Leiche der Tiere, sondern auch die Scheise der Tiere und der Menschen, sozusagen das Symbol des Lebewesens, fliesen. So hatte ich das Leben nachvollzogen, aber die Geschichte dahinten nicht gewust, die ich im Film erfahren habe.

Die Kinder klauen den Toten die bunten Tücher um sie weiterzuverkaufen. Ein Tuch verkaufen sie für 3 Rupee, ungefähr 10 Cent. Daher kann man gar nicht den wirtschaftlich wunderwachsenden Staat wahrnehmen. Sie drogen jeden Tag, um die Hitze beim Brennen zu stillen. Ich muss mich doch mal fragen, ob sie auch "menschlich und lebensvoll" sind.
"---the corpse. That is why they consider us as untouchables." sagt ein Kind. Die Aussage ist komisch und widerspruchsvoll, denn nur heilige Toten verbrannt werden dürfen. Warum wird man unberührbar, wenn man heilige Leiche berührt hat?
Die Kinder sind zwar nicht lebensvoll, aber schon viel menschlicher, besser gesagt unschuldiger, als die "beruhrbare" Leute.

2009年5月12日火曜日

Deutschland nervt!

Deutschland nervt!
Hans-Erich Viet, 2009

タイトルは、ちょっと訳しにくいのだけど、"nervt"っていうのは動詞で神経を苛立たせるとか疲れさせるっていう意味。もともと名詞の神経"Nerv"、つまり英語の"nerve"から来てる。3・4年間に渡ってドイツ中を撮りまわって、ドイツのおかしいところを撮ってまわったドキュメンタリー。
本当にいろいろな人が撮られていて、その中で日常のちょっと笑っちゃうようなシーンがたくさん盛り込まれていて、自分もわかるところは一緒になって笑っていた。けど、その中でレストランを営んでいる台湾人がドイツ人の覆面男4人組に襲われた時の話をしているのがあって、確かに話し方がちょっとこっけいなところはあるのだけど、ピストル出されてやばかった話をしているのに笑ってる人がいて、なんだそれ、笑い事じゃねぇだろ、って思った。
たぶん、アジア人が出てきて他人事だったのがちょっと自分事になったからだと思うけど、よく考えたらドイツ人の観客はそれまでずっと自分たちドイツ人のことについても笑ってたじゃないか。この人たち、自分たちの自身のことを笑っているのに気がついているんだろうか?

とかそんなことを電車の中でぼーっとヘッドホンつけながら考えていたら、いきなり頭を叩かれた。
なに!?って思って振り向いたら、女の人が、手が手すりから滑って落ちちゃったのよ、って笑ってる。
なんで笑うんだよ?こっちはいきなり頭叩かれて痛かったんだよ。なめんな。
まぁ確かに手が滑ったのはうそじゃないだろうし大したことないと思ったのかもしれないけど、
頭って叩かれると結構ズキってドーンとした鈍い痛みがするし、
ヘッドホンしてると音も余計に響いてショックも大きい気がするんだよね。
たぶん、そのショックの認識に差があって、つまりその女の人にとっては軽いもので、
笑ったのは自分を守るための、照れ隠しみたいな笑いだったのかもしれない。

映画でも、観客は、自分も含めて自分たちのちょっとおかしい恥ずかしいような姿を見せられて、
照れ隠しの笑いをずっとしていたのかもしれない。
けど、自分たちが笑っていることは、笑い飛ばせるほど軽い事ではないのかもよ。

2009年5月10日日曜日

Fire under the Snow

Fire under the Snow
監督 楽真琴(ささまこと) (2008年)

ミュンヘンで行われてるドキュメンタリーフィルムフェスタで上映していたので見に行ってきた。渋谷のアップリンクで上映中みたいなので、チベットについて興味はあるけど知識はないからとにかく知ってみたい人、人生の32年間を獄中生活と強制労働に費やさざるを得なかったパルデン・ギャッツォの人生について知りたい人は是非。
32年間って、その3分の2ちょいしか生きていない自分にとっては想像の範囲を超えていて、正直実感はあまりわかない。けど、その顔に刻まれた皺、失われなかった目の光、力強い言葉が、彼の生きた人生の証なんだと思う。
その意味で、英語字幕を読むのに必死で映像にあんまし集中できなかったのは残念だった。