2009年5月13日水曜日

Japan, A Story of Love and Hate

Japan, A Story of Love and Hate
Sean MacAllister, Japan/UK, 2008

ミュンヘンで行われていたドキュメンタリーフェスで、イギリス人のジャーナリストが日本のワーキングプアを題材にした映画を見た。ただワーキングプアを扱ったドキュメンタリーとしてより、自分はどっちかっていうとナオキとヨシエのラブストーリーとしていい映画だ。
この映画はイギリスBBCやフィンランドの映画祭でも上映されたらしい。で、この映画について海外でこの映画を見た日本人と思しきレビューで、こんな日本が日本の全てだと思われると困る、日本人として恥ずかしい、というような趣旨のコメントがあったのだけれども、それは批判としてあまり意味をなさないと思う。このドキュメンタリーで映し出されているのが例え日本の一部分に過ぎないとしても、一部分に過ぎないといって看過するのでは意味がない。郵便局で仕事の前でラジオ体操をしているところとかも含めて、滑稽かもしれない、されども日本の一部分ではあるとして受け入れることのほうが先だろう。
また、ナオキさんのことを女のヒモ同然でどうしようもないやつだ~っていうような批判もあったけど、本人としては、そんな風に蔑まれることは十分承知の上、映画へ出演したんだと思う。ワーキングプアっていう社会的問題の裏には、その社会を動かしている人間の弱さがある。社会的問題のみならず、普段誰も見せたがらないし見たがらない人間の弱さも映し出したことに、この映画は価値がある。その意味で、自分のダメさすら曝け出したナオキさんに僕は、蔑みよりもエールを送りたいと思う。


Im diesen Film ist sogenannte "working poor" in Japan aufgenommen, die solange wie möglich arbeiten, aber trotzdem wegen des niedrigen Gehalts immer noch arm sind.
In Japan bringen sich selber über 30.000 Leute ums Leben, und ungefähr ein viertel von ihnen begehen Selbstmord auf der wirtschaftlichen Grund. Sie werden nicht getötet, aber sie ermorden sich selber. Den Umstand Japans finde ich genauso bedenklich wie z.B. Armut in Afrika.

Der Film stellt das gesellschaftliche Problem Japans erfolgreich dar, ager fokussiert sich gleichzeitig auf der Beziehung zwischen Naoki und Yoshie selber. Naoki war früher ein reicher Mann, aber jetzt arbeitet er als "part time" auf dem Post 7 Stunden und verdient ungefähr 40 Euro pro Tag. Nachdem er aus seinem "full time" Job entlassen wurde, wohnt er bei seiner Freundin, Yoshie. Sie ist 27 Jahre alt und arbeitet 14 Stunden pro Tag. So ernährt sie seinem Freund, der etwa doppel älter als sie und genauso alt wie ihr Vater ist.

Was in diesem Film unübersehbar ist, ist die Rolle des Regisseurs. Während der Aufnahmzeit wird er nach und nach mit Naoki befreundet. Wenn man sich dem film anschaut, fühlt man sich, als würde man mit Naoki zusammen trinkt und redet. Darurch verändert sich Naoki und versucht, sich und die Beziehung mit seiner Freundin zu verbessern. Der Film ist nicht bloß ein Dokumentarfilm, sonder auch eine Liebesgeschichte.

3 件のコメント:

naoki sato さんのコメント...

こんなに良く評価してもらってとても嬉しいです。この映画のナオキです。
ただ曝しただけの客体が、語ってはいけないのでしょうが...
約3年前、ショーンと私の、長いメールのやり取りが続きました。
「曝す」側と「撮る」側の間に必要な、ある共通の視座や人生観のようなものが、海を越えて見えかくれし始めたときに、私は、西欧のショーンと格闘してみようと思いました。
西洋と日本の、貧と富の、過去と現実の、老いと若さの、男と女の、孤独と愛についての、ショーンの執拗な問いに、答え続けました。
私は「撮られている」ことを忘れ、ショーンはカメラを忘れました。

ヨーロッパでお会いしたかったですね。

突然の書き込み失礼しました。
山形市  郵便局パート  佐藤直樹

s.Yoshimitsu さんのコメント...

ナオキさん、書き込みいただきありがとうございます。映画のレビューを書かせていただいたヨシミツです。

「語る」ことは「曝す」ことの一部だと思います。映画の中のナオキさんは、カメラに向って語っておられました。その語る姿から、カメラの向こうにいるショーンの姿が感じられるのは、この映画がむしろナオキさんとショーンの格闘の映画だったからなのですね。
ある時カメラ越しのナオキさんが自分に向って語っているように見えたのは、自分も「観る」側として必要な共通の視座に立てた時なのかもしれません。

山形に行く機会がある際には、是非ご一報させていただきます。

吉光翔平

naoki sato さんのコメント...

吉光翔平様

是非、山形で飲みたいですね。閉鎖的な町ですが、私のような生き方でも、考え方しだいで、まあまあ温い町にも思えます。

ドキュメンタリー映画専門?のサイトで「山形映画祭はヨーロッパで賞を逸した作品が多い..」などど書かれていますが、小さいですがノルウェーでの賞や、北イタリア NODO DOCの賞など、調べていない自称「通」達が、闊歩そはじめました。

彼らは「戦争」「革命」「開発」「圧制」又は「重厚な歴史」がないと、映画にダイナミズムが無く、私小説的で刹那なヒューマンドキュメンタリーなんて、まして狭い日本の甘えた貧困なんて、つまらないと考えるのでしょう。

私達の日本の足元で、相対的にアジア並みの貧困が蔓延していますが、ショーンの客体への執拗なしがみつきが客体との摩擦を生み、その摩擦のエネルギーが客体の変化を生み、映画がそれに牽引されていきました。

私はこれからも語る客体を目指そうと思っています。

生活者としては浮き足立たず、しっかりと。
肝に命じて。

ロンドンでSean McAllister と会ってください。

佐藤直樹