2008年12月20日土曜日

鈍感は罪



今日、ダッハウの強制収容所に行ってきた。
ダッハウは、ミュンヘンの郊外、
これがナチスの作った初めの強制収容所。
ここで、3万人以上の人が亡くなった。
ちなみに、ホロコースト全体での犠牲者は、
600万人以上といわれる。
(写真は、入り口付近で写真を撮る観光客)



"Arbeit macht frei"
"Work brings freedom"
ホロコーストの犠牲になったのはユダヤ人だけではない。
政治犯、シンティ・ロマ、ホモセクシュアル・・・
などなどとにかくナチスに嫌われた人は誰でも犠牲になった。
犠牲者は、ドイツ国内にいた人よりむしろ、
第2次大戦後のドイツ占領下の人々が多い。



自分が初めて強制収容所を見たのは、
17歳のとき。
ぼろぼろぽろぽろ。
今回はあのときより大分冷静に見れた。
(または醒めた?)



5年経って、神経が麻痺したのか。
なぜ、ホロコーストは成立しえたのか。
この鈍感さこそ、
ホロコーストを可能せしめた要因の一つなのではないか、
とぞっとした。

2008年12月18日木曜日

おもむろにかよう


今日、ジョギングをしたときのこと。
といっても、最近日が沈むのは早いし、何やかやで1週間に1・2度しかしてないのだけど、
今日は先週末に雪が降っただけあり、人生初の雪上ジョギング♪
結構神経使うらしく、いつもより体力消耗が早い。
そんな中、いつものジョギングコースの橋の袂にはストレッチをしている気合はいった格好の初老のおじさんが・・・
さすがに、冬になりジョギングピーポーも少なくなってきた今日この頃、
おもむろに、微笑みサインを送ってくるおじさん、
ぼくもそれに引き攣りながらも返す、
心がおもむろに通う瞬間。


写真は、ラーメンを通して心を通えられたかもしれない人たちw

2008年12月17日水曜日

PALERMO SHOOTING


今日、ちょいと暇ができたので、映画館に行ってきた。
前からちょいと見たかった、ヴィム・ヴェンダースの"Palermo Shooting"という映画。
運転中に写真をとったりなんかしているばっかりに死にかけた写真家が、イタリアはパレルモに感傷の旅に出たはいいものの、影から何者かに矢で命を狙われる・・・というストーリー。

「ヴィム・ヴェンダースの映画は写真的」という風に誰かが言っていた。
それを、画だけで楽しめる、という風に思っていて、
確かに今日も特にパレルモの街の風景は存分に堪能した。

けど、この映画は、「ベルリン天使の詩」とか「パリ・テキサス」とかに比べて、
言葉もかなり重要な位置を占めていたんだとおもう。
これは、決して上に上げたような2作品で言葉が重要じゃなかったっていう意味じゃない。
それら前の作品において映像と言葉が溶け合ってともに詩的に響いたのに対して、
「Palermo Shooting」では言葉が説明に使われることが多かったんじゃないか、という意味。

その意味で、自分は前の作品のほうが自然に体に響いてきて好きです。
けれども、画のキレイさ的には今日のが一番、時には身震いもしましょう。


写真は、ノイエ・ピナコテークの玄関で、
チケットを記念に持ち帰ろうと大切に財布にしまうのに手間取り、
ご主人に後れを取ってしまった老婦人。

2008年12月16日火曜日

死に体

地面から剥ぎ取られ、
地面にはめ込まれるモミの木。
(Weinachtsmarkt, Marienplatz, Muenchen)

2008年12月15日月曜日

Salzburg

昨日、ザルツブルクへ行ってまいりました。
勘のいい人ならわかったかと思いますが、Salz(=salt)、塩の都です。
ミュンヘンはここから塩をアウグスブルクやらニュルンベルクやらへ運ぶ中継地として栄えました。
また、ザルツブルクはモーツァルトが生まれた街でもあります。
サウンドオブミュージックの舞台でもあります。
商店の看板がとってもおしゃれです。

などなど、これ以上のありきたりな解説は歩き方にお任せして、
あとは、写真だけでご勘弁ください。
最近、思考停止のため、悪しからず・・・