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2009年8月11日火曜日

Goerge Rodger

今日、ジョージ・ロジャーの写真展がVersicherungskammer Bayernというところでやっていたので、ふらっと見に行ってきた。

ジョージ・ロジャーというのは1908年生まれイギリスのフォト・ジャーナリストで、第二次大戦時はアメリカのグラフ雑誌ライフの戦争特派員として活躍した。彼の仕事で最も知られているのは、解放直後のナチス・ドイツ強制収容所を撮影した写真だろう。しかし、その筆舌に尽くしがたいであろう光景を前に、それをキレイな構図に収めようとそれのみに苦心している自分に対しショックし、それ以後は戦場には出向かず、主にアフリカで写真を撮り続けた。

死者はそこかしこにいた。その数四千にもおよぶといわれる死体を、構図の整った写真におさめようとしている自分に気づいた。いったいぜんたいわたしはどうなってしまったか。こんなことがあっていいはずがない。何かがわたしを変えてしまったのだ。世の人々にこのことを伝えるためにも。この情景を写真に撮らねばならない。したがって、わたしとしては何もしないで立ち去ることはできない。そこでわたしは、風景か何かでもとるように。死体を具合のよい構図におさめ、写真を雑誌社に送った。(1989年10月,BBC2のインタビュー)

この展覧会で強制収容所での写真は3枚あり、展覧会全体の構成としては戦時中の写真と戦後の写真と時系列に両方とも展示されていた。構図の美しさは戦時中のも戦後アフリカでの写真も変わらない。注意深く見なければ、強制収容所の写真も別の多くの写真のうちの一部として見過ごされてしまうかもしれないくらい。それでも彼は美しい写真を撮ることをやめなかったが、対象は戦争からアフリカの小さな村での情景に変わった。ではどうして、彼はアフリカを撮ることにしたのだろうか?

いつかの投稿で、「アンリ・カルティエ=ブレソンの写真にオリエンタリズムはないのか?」と問いが成り立つということについてチラッと書いた。世界の現実を伝えるという使命の裏にオリエンタリズムが潜んでいるという問いは「近代世界の覇者である西欧」の人間になら誰にでも通じるはずだ。ましてや、ジョージ・ロジャーもカルティエ=ブレソンも戦後ロバート・キャパと共にマグナムを立ち上げたメンバーの一人である。

けれども、戦中、更に強制収容所での一連の写真を見た後、彼のアフリカでの写真を見ていると、ジョージ・ロジャーにその問いを投げかけるのは馬鹿げているという気がしてきた。というのは、彼はその西欧世界の最も残酷な側面を目の当たりにし、自分がその一員であることを誰よりもはっきりと自覚させられた人だからだ。

アフリカの写真の中には、女の人のポートレートが何枚かあった。彼女らは胸こそはだけているが、西欧の女の人と同様様々な装飾品を身につけている。その最たるものが肌に浮き上がる傷模様だ。肌を傷つけそこに木の灰を擦り付けることで治癒後にその傷が浮き上がり模様になるという。彼の戦中の写真と戦後の写真とで一番違うところは、戦後の写真では彼は美しいものを写真に取っているという点だ。しかも、西欧の価値観とは全く別の価値観による美しさ。

ジョージ・ロジャーは、アフリカのとある村の女の美しさをオリエンタリズムの言説のように自己を定立させるための征服の対象としてではなく、むしろ西欧世界の価値観を転覆させるための絶対的美しさとして、捉えていたように自分には見える。西欧からは文明に対して野蛮または未開の地として捉えられるアフリカに彼が戦後赴いたのは、西欧から、またその西欧の一員である自分から逃げ出し、未開の地の美しい価値観に身を置くためだったのじゃなかろうか。

2009年6月8日月曜日

EUって誰!??

最近、発表の準備でトロイカ交渉っていうのを扱っていて、僕の頭の中はもうトロイカでいっぱい。

トロイカ交渉っていうのは、コソヴォ地位問題に関する国連特使アハティサーリによる交渉が失敗した後、コソヴォがセルビアからの独立を宣言(2008年2月)する前までの、2007年8月から4ヶ月間にわたって行われた、米・露・EUそれぞれの代表からなるトロイカによるセルビア、コソヴォとの交渉のこと。

で、この交渉の特徴は、コソヴォ地位問題の交渉の中で初めて、EUがアクターとして表舞台に登場したことにあるそうな。その背景には、国連の監視下でのコソヴォ独立を柱としたアハティサーリ案については、EU加盟国間の中でも是非が分かれてEUとしての一体性を保てなかった。っていうのの反省から、次の交渉ではEUとして行動することにより、そもそもヨーロッパの問題であるコソボ地位問題にEU加盟国は一緒に取り組もう、という意図があったんだと思う。

ところで、今日ヨーロッパでは欧州議会選挙っていうのがあったのだけど、ちょっとTVでニュース見たところによると、独仏の投票率は40パーセントちょい、つまり非常に低いものだったそうで。
EUって、民主主義を共通の理念として掲げているんじゃなかったっけ?
上に書いたようなEUの関わっている国際問題のみ扱っていると、あたかもEUっていうのが誰もが日常に感じられるようなすごく大きな存在みたいに思えてくるけど、実際そうじゃないんだよね。

少なくても、EUっていうのは27の加盟国から構成されていて、その27カ国にはそれぞれ住んでいる人がいて、その人たちもEUの構成員うちのひとりひとりなのだけど、それでもそのEU議会の投票率は50パーセント足らず。
そうなると、国際関係でEU、EUって連呼しているけどEUってそもそも何?
コソヴォはヨーロッパの問題、とかっていうけど、ヨーロッパって何?誰それ?
っていう問題は国際関係をやってたら結構つきもの。

トロイカ交渉において、EU代表を務めていたのがいつかの投稿でも書いたとおり、
ドイツの外交官、ヴォルフガング・イッシンガーこと僕が発表を行うゼミの特別講師の方なのだけど、
ドイツの外交官が、ドイツ人としての利害を混入させずにヨーロッパの利害を求めて行動できるのか?
って考えると結構無理がある。だって彼はEU市民であるけど同時にドイツ国民でもあるんだもん。
一人の人間が、自分の中にあるアイデンティティを自由に完璧に使い分けるなんて無理でしょう。

つまり、ヨーロッパとかEUって聞いたら、それって中身は何?っていうのは気にしたほうがよくて、
トロイカ交渉の場合はEUのなかにドイツっていう要素はかなり強かったんじゃないか?
ちなみに、交渉途中でEU代表から提出された案は、ドイツ案って呼ばれてる。
さらにその内容は、地位問題をとりあえず棚上げにして経済・社会分野での協力関係を築く、
というもので、EU加盟国内で賛否が分かれるコソヴォの地位問題自体に踏み込んだものではなかった。

EUが加盟国の利害をまとめて、ひとつのアクターとして行動することの限界はこれからも超えられないと思う。
けれどもそれ自体悪いことでは決してなくて、加盟国の利害対立による限界の中でなんとかやっていく。
この姿勢は、互いの利害のみを追及し続けた結果交渉の失敗の原因となったセルビア・コソヴォ対立、米露対立よりもよっぽど評価できる。
EU内の利害対立の中で、どのように妥協案が生まれてそれがEUによる案として採用されるのか、その過程におけるうさんくささは拭いきれないけれど。

2009年1月31日土曜日

Überlegung über den 3. Weltkrieg

今日は、国際関係論の主要テーマである戦争について、ちょっと考えてみました。
日本語は下にあります、つっこみどころ満載なのでぜひぜひ突っ込んでくださいw

Ich studiere Internationale Beziehung.
Internationale Beziehung, es geht um, wie der Krieg entsteht.
Hier würde ich gerne einmal an die Möglichkeit der Ausbruch des 3. Weltkrieges denken.

Glücklicherweise bricht der 3. Weltkrieg noch nicht aus.
In der Tat können die Kriege nach dem 2. Weltkrieg so klassifizieren.
- Mächtiger Staat gegen kleinen Staat (Irak Krieg)
- Kampf gegen Terrorismus von mächtigem Staat (Afghanistan Krieg)
- Kleiner Staat gegen anderen kleinen Staat (Balkan Krise)
- Kampf gegen Terrorismus von kleinem Staat (Gasa-Krise von Israel)
Es gibt keine Kriege zwischen mächtigen Staaten.
Ich denke, dass es dazu drei Gründe gibt.

(1) In der Zeit des Kalten Krieges funktionierte die kollektive Sicherheit in Rahmen des Mitbewerbes zwischen der NATO und des Warschauer Taktes.
Durch diese Bipolarität wurde der Umstand, "balance of power" gehalten.
Nach dem Ende des Kalten Krieges ist die Bedrohung in Osten, UdSSR verschwunden und die draushin entstehende Unipolarität von den USA unterdrückt Kriege zwischen Großmächten.

(2) Es gibt ein Element, das weder während des Kalten Krieges noch nach dem Ende des Kalten Krieges verändert wird, und zwar Atomare Abschreckung.

(3) Die Großmächten wurden durch den zwei WeltKriegen schrecklich zerstört und beschädigt. Zahlreiche Leute sind ausgefallen. Diese Erfahrungen spielen eine Rolle bei dem Frieden zwischen den Großmächten.

Also, insoweit diese Bedingungen weiter gehalten wird, bricht weder der 3. Weltkrieg noch Kriege zwischen mächtigen Staaten aus.
Worauf steht dann die Gefährlichkeit, dass solche Kriege ausbrechen??
Es gibt schon ein negatives Element, und zwar Erscheinung der neuen kleinen Staaten, die Atombonben besitzen oder besitzen werden, wie Iran oder Nordkorea.
Sie haben keine Erfahrung vom Weltkrieg, und es kann sein, dass solche Staaten atomaren Angriff nehmen, wenn sie rationale Optionen weggeworfen haben.
Aber, wenn auch solche Länder atomren Angriff nehmen würde, würde es nicht zum 3. Weltkrieg kommen, weil keine mächtige Staaten sie unterstützen würden.

Möglichkeit des 3. Weltkrieges liegt in der Erscheinung der unrationale Aktuere, die Atombomben besitzen. Trotzdem wird der 3. Weltkrieg nicht ausbrechen, insofern die atomare Abschreckung aufgrund der Uniporalität von den USA weitergeht und die kollektive Sicherheit zwischen den mächtigen Staaten gehalten wird.


第二次大戦後、まだ第三次大戦は起こっていない。
第二次大戦後の戦争は以下のように分類できる。
・大国 対 小国 (ベトナム戦争、イラク戦争)
・大国 対 政府組織 (米国によるアフガニスタン侵攻)
・小国 対 小国 (中東戦争、バルカン危機)
・小国 対 政府組織 (イスラエルによるガザ攻撃)
以上のように、大国 対 大国の戦争は起こっていない。
これには、以下3つ理由がある。

(1)冷戦期には東西冷戦という枠組みの中で勢力均衡が維持された。また、冷戦後はアメリカによる権力の一極集中により大国間の平和は維持された。
(2)冷戦期も冷戦後も、核抑止は機能し続けている。
(3)大国、特にヨーロッパの大国において、2度の世界大戦の苦い経験が戦争を抑制する効果を果たしている。

このように、第二次大戦後、第三次大戦、大国間における戦争は起こっていない。
上の3つの条件が維持される限り、第三次世界大戦は起こらないと考えられる。
しかし逆に、それに当てはまらない状況から第三次大戦が起こる可能性が生まれる。
その一つの兆候が例えば、イランや北朝鮮など核兵器を所持している、または所持しようとする小国の出現である。
これらの国は世界大戦で酷く破壊された経験もなく、非合理的な核攻撃という政策を取る可能性がないとは言えない。
それでも、たとえこれらの国が核攻撃を選択したとしても、彼らを支援する国はないだろうから大国による集団的な反撃にあい、世界大戦には発展しないものと思われる。

このように、第3次世界大戦の可能性は非合理な主体が新たに核兵器を手に入れることで発生すると考えられるが、大国による核抑止と集団的安全保障が機能する限り、世界大戦は起こらないだろう。

2009年1月21日水曜日

本格たまごご飯

昨夜のこと、
あぁ、明日の朝ごはんはどうしようか・・・
おじやも飽きたし、明日はたまごご飯と味噌汁にしよう♪
ここ2ヶ月しっかり主食の座を勝ち取った韓国のARIRANG米をとぎ、水に浸しておく。
少し風味をつけるため、粉末の昆布だしを隠しだし程度に混ぜておく。

そして、朝。
まだ寝たいよ~いや、今朝はたまごご飯を食べるんだ!
二度寝への欲求を打ち負かしたのは、そんな馬鹿な、たまごご飯への情熱だった。
ベッドから這いずり出て、炊飯器のスイッチを入れる。
そして、鰹節を削る。



本格かつお節削り器で削った鰹節。
鰹節って、削るものなんですよ。











次は、たまごの用意。
僕は、ご飯と混ぜる前にたまごを混ぜる派だ。
そのときに、醤油も混ぜておく。
炊き立てのご飯、炊けてから若干時間を置いたのを、どんぶりに盛る。
この時に、若干ご飯の中央にくぼみをつくり、そこにたまごを流し込む。



おいしそう・・・
明日の朝ごはんもたまごご飯で決まり!











これに更に、だし醤油をかけて味を調えて完成。
母親にわざわざ持ってきてもらった甲斐があった。
自分で削った鰹節の風味も最高だった。
こんな贅沢できるのは、鰹節を持ってきて、と言っただけなのに
棒状の鰹節と削り器を持って来てくれるという気の利いた兄のおかげだ。


鰹節を削った表面は、
もはや魚というより宝石の原石のようだ。














###################################
ところで、今日バラク・オバマがアメリカ合衆国大統領に就任した。
今テレビには、リムジンに乗ってホワイトハウスに向かうオバマの姿は見えないのだけど、
警備バッチシ、リムジンとそれを囲うSPの姿がひたすら流される周りからは、
ひっきりなしの大歓声が聞こえてきて、ずっとそれを聞いていると、
それがあたかも世界中が新しいアメリカ大統領の誕生にドキドキしているような気がしてくる。

9・11から7年、イラク戦争から5年、あの時もニュースを見ながらドキドキしたけれど、
今回はこれから世界がどうなるのか?ってことに対してゾクゾクするようなドキドキだけじゃなく、
世界がひょっとしたら変わるかもしれない!ってフワフワしてしまうようなドキドキだ。

思えば、大学で国際政治を勉強しようと思ったのは、9・11とかイラク戦争を同時代的に目撃して、
いま世界がどう動いているのか?知りたくなったからだ。
今なら、ドキドキを排して、冷静に世界を見ることができるかな・・・
近いうち、ここで結果を報告します。。

2008年12月5日金曜日

これが、プロテスタンティズムと資本主義の倫理?

今、日本の労働市場についての特別講義を聴いてきた。
ものすごく簡単に要約すると、


これから30年、50年スパンで日本の人口減少と高齢化により労働就労人口が減るとすると、
それによる労働力低下を補うためには、労働人口を増やすか、労働効率を上げるという方法がある。
そこで労働人口を増やす中でも、60歳から69歳くらいまでの労働人口に焦点を当てると、
彼らに働く意思がまだありながらも働くシステムが整っていないことがわかる。


以上。
日本のことを知らないドイツの人から見たら、あぁ、日本はそうなんだ、って思うかもしれない。
確かに日本のデータと世界のデータとの比較は、例えば日本の55歳以上64歳以下の人口に対する労働者人口の割合が他の先進国と比較しても圧倒的に高いとか、おもしろいところもあったけど、
まぁ現状分析のみの講義だったからか、新鮮さに欠けてたし、知的好奇心(そんなもの僕にはもともとないって噂もあるけどw)を刺激されることもなかった。

僕にとって唯一おもしろかったのは逆に、講義自体が面白くなかったとこ。
講義をしたのはおそらくドイツ人の先生なのだけど、
本来なら、
あぁ外から見るとそういう風に見えるのか、
ってはっとさせられることがあってもいいはずなのだけど、それが全くなかったことが逆に不思議。
彼の視線はもっぱら労働の中でも企業における労働に向いていたのだけれど、
労働人口が減るから、それを維持する、または増やすにはどうしたらいいだろう?
っていう前提、
ただでさえ日本において60歳代の就労割合は高いのに、それでもまだ働かせるにはどうしたらいいだろう?
っていう発想、

どうして日本において60歳代の就労人口割合は高いのだろう?
そんなに働かなくてもいいじゃない?
っていう発想には決してならない。


もし、マニラのスラムに住む人がこの講義を聞いたら、どう思うだろうか??

2008年11月25日火曜日

新雪に

自分が部屋に篭っているいつの間に、
こんなに雪が積もっていた。
新雪のクツクツいうのが堪らなく気持ちいい。





今日、ドイツに来てから初めてプレゼンした!

先週の火曜、国際関係論のゼミ中に、日本の話題が出たにも関らず、
ドイツ語がようわからんし、
そもそもなんかようわからんし、
まったく発言できない自分がいて、
授業中に独り泣きたくなり。。

というのは、soさんがいつかブログで言ってたみたいに、
「授業に、さしては学問に貢献したい」って言う気持ちがあるのに、
まったくできてないって言う絶望。
自分が交換留学生としてドイツに来ているのに、ドイツの学生に全く貢献できていない、
=自分の存在はないに等しい、っていう悔しさ。

それを今日、少しは晴らせたと思う。
けど同時に、ただの自己満足っていう可能性も十分あり。
友達は、すごくよかったって言ってくれるけど、
ドイツ語できないわりにはがんばったね、って意味なのか、
内容がよかったよ、って意味なのかは不明。

残念だけど、たぶん前者。
それにしても、そのドイツ語さえ友達のドイツ人に全部直してもらってるから、自分の力じゃないし。
それでも、ここはおだてられるがままに、
授業の後わざわざよかったって言いに来てくれた人の言葉を糧に、
これからも精進いたします。

ちなみに、発表は大正デモクラシーについて。
内容はというと疑問を呈する形で終わっていて議論にもなっていないのだけど、
まぁ以下のとおりです。

******************************
1919年、原内閣の成立は政党政治の始まり、
つまりは民主主義への第一歩として認識されているが、
原内閣の制限選挙改革をみると、原が目指したものが人民を中心とした政治の実現ではなく、
政友会により政治支配であったことがわかる。
ここで、それなのになぜ原内閣の政党政治が「民主主義」として認知されたのか?
という疑問が生じる。

この疑問に対して当時の国際関係における日本の位置から一つの答えを出すために、
次に原内閣の第一次大戦後におけるパリ講和会議における人種差別撤廃案に目を向ける。
第一次大戦後、世界における列強の一角の地位を占めると自負した日本は、
同時に唯一の非白人国として自らが差別されているのではないかという自意識に苦しめられていた。
この状況から見ると、人種差別撤廃案とは普遍的な人種的平等ではなく、
西欧列強に対する日本のみに対しての人種差別的意識の撤廃を意味していたといえる。

このように、「白人=文明人」にあこがれると同時に、「白人=支配者」に対抗するというアンビヴァレンスな状態を、小熊英二は『<日本人>の境界』のなかで「有色の帝国」と定義した。
大正期日本における「デモクラシー」という言説をこの「有色の帝国」の中に当てはめると、
「デモクラシー」とは、「白人=文明人」にあこがれるがゆえに、その一員となるためのベールであり、
また「白人=支配者」に対抗するゆえの帝国主義を覆い隠すためのベールであったのではないか?
と考えられる。

ちなみに、現在自らを民主主義と名乗っていない国は、
サウジアラビアとビルマ(ミャンマー)のみ・・・
北朝鮮も、朝鮮民主主義人民共和国。

2008年11月16日日曜日

オリエントからのオリエンタリズム①

先日、といってももう1ヶ月くらい前になるけど、今橋映子の『フォト・リテラシー』という本を読んだ。

その中で、自分にとって興味深かったのが、
「HCB(アンリ=カルティエ=ブレッソン)が異文化を撮った写真の中にオリエンタリズムはないのか?」
という議論だった。

実際、「興味深かった」なんていう生易しいものではなくて、何も考えず自分の好奇心に従いナイーブな旅行を繰り返してきた自分をガツンとぶん殴ったのが、
そもそも「写真における異文化表象」とは何か、説明するために引用された次の中平卓馬「旅のもつ詐術」からの一節だった。


「私は、同世代の多くの写真家たちがアメリカへ行き、ヨーロッパ、あるいは遠くアフリカ、ラテンアメリカへ出掛けて撮ってくる写真に感動させられることがほとんどない。 (省略)私はすぐに、あれこれの土地、あれこれの場所に出向いてゆくならば、ただその気になりさえするのなら、そのようにひとびとは生き、事物は存在しているのだろうと、一気に全てを<了解>してしまうのだ。(省略) 一言で言ってしまえば、これらの写真には一様に、旅行者だけが持つ甘えた感傷とそれと裏腹にあるつきなみな希釈された好奇心がべったりと貼りついている」


別に、自分の好奇心の源泉に疑問を今まで疑問を感じていなかったわけではなかったけれど、
「甘えた感傷」「つきなみな希釈された好奇心」とはっきり批判されると動揺せずにはいられない。

次に今橋(敬称略)は、異文化撮影の対象として東方(オリエント)を挙げ19世紀後半におけるオリエント写真の隆盛を指摘し、「<東方>に対する知識の総体」を意味した「オリエンタリズム」という用語が、西ヨーロッパの植民地支配体制が拡大された時代において次のように意味が変わることを、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』におけるオリエンタリズムの定義から説明する。
すなわち、オリエンタリズムとは、


「近代世界の覇者である西欧が、征服の対象である一つの世界を認識し、表象する行為を通して、自らと異なるもの、<他者>として定立し、その<他者>との対比によって自らを<主体>―征服し、認識し、表象する能力の独占者―として定立することを可能ならしめる(完全に意識化されていないが、イデオロギー的に機能する)言説」


「近代世界の覇者である西欧」を「近代東アジア世界における覇者である日本」と読み替えれば、この図式はそのまま「日本人」の自分にも当てはまることになるわけか。

そして今橋は、前述の「旅におけるエキゾチシズムの詐術を見抜いた」中平卓馬の評言に、「支配者側の人間が他者としての異文化を見る眼差しの政治性を加味すれば、そのままオリエンタリズムの問題系に移転する」、として両者を同列に扱い次のように結論付ける。


「表現者にとって、未知の世界の、異なる事物の発見であったつもりが、実に何百年にも及ぶ文学や映像の常套化した表象の焼き直しに過ぎないとすれば、その表現者の『眼の記憶』の中に、エキゾチシズムやオリエンタリズムはすでに埋め込まれていることになる」

そして、カルティエ=ブレッソンの写真においても「確かに無意識に固定化された観念」を読み取るべきだ、と。


昨日、2007年の春に行ったインド旅行の写真を少しUPしてみた。
あのインド旅行からは1年半経っている。

もはや自らの中に染み付いているエキゾチシズムやオリエンタリズムを否定することは不可能だ。
とすると、とりあえずできることは

果たして、僕の「確かに無意識に固定化された観念」とはどういうものなのだろうか?

考えることしかないだろう。

2008年11月9日日曜日

日韓ぶんかろん

とある誕生日会での一コマ。

絵の勉強をしている韓国の女の人に会った。
なんでもドイツの方が若い芸術家に門が広く開かれているため、この秋にパリからミュンヘンに移ってきたらしい。

ひょんなとこから、話はまたまた日中韓の文化について。
日中韓の文化の中でも、特に日韓の文化が似ている、と。
kazushiもそんなことコメントしてくれてたなぁ、って思い出して、
どうして?って訊いてみた。
彼女曰く、


中国はコミュニズム、
韓国はその中国と一線を画すべく特に戦後自らを変えようとしてきたし、
中国と韓国の間には北朝鮮があった。
この政治制度の違いから、日本を始め他の資本主義国との文化交流が多かった。
また、韓国は日本に30年間占領されていた。
韓国と一番文化が似ているのは、台湾かもしれない。

この話を聞いたときに、どこか納得できなかった。
まず、自分には中国が「コミュニズム」っていうイメージがすごく薄い。
国が経済をコントロールした結果、皆が平等な暮らしができる、っていうコミュニズムの理想状態から中国があまりにかけ離れてるから。
それに、中国の人と話したときに中国はコミュニズムだから違うんだ、なんて感じたことが自分はない。
(そんなに数は多くないし、海外に来ている中国の人としか話したことはないけど。)

次に、その話からすると日本と韓国のかかわりが強くなったのは1910年韓国併合から今まで約100年。
それに対して、中国と韓国が陸続きに強く結びついていた過去数千年の歴史をどう説明するのか。
日本と韓国のどの部分が似ている、ということは話さなかったから分からないけど。

最後に、韓国と台湾の文化が一番似ているのが、
両国とも韓国にとっては北朝鮮、台湾にとっては中国という共産国家のダイレクトな脅威にさらさる中、自国を差別化を図った結果だとすれば、その差別化はどのようになされたのか。


話がこれ以上深まることはなく、
ヨーロッパにいると、やっぱり東アジアの人とは話しやすいよね、
という方向に落ち着いていく・・・

僕は、台湾にはたった2泊だし、韓国・中国には行ったことがない。
だから、自分の東アジアに対してのイメージの多くは、
「ヨーロッパにいると、やっぱり東アジアの人とは話しやすいよね」
ってとこから出発している。
この距離感ってすごく心地いいけど、東アジアに対して知識も経験も足りないくてちょっと薄っぺらい。

中国・韓国行かねば!

2008年11月4日火曜日

歯切れ悪いけど、米大統領選について

朝起きると、次期アメリカ合衆国大統領がオバマに決まっていた。
朝のニュースでは、繰り返しオバマのマケインに対する大差での勝利が伝えられている。

今日は、朝8時から授業。
(朝8時からなんて、人生で一番朝早い授業じゃなかろうか!?けど朝から久々の快晴で、とても気持ちがよかった。)
ミュンヘン大学には、"media and communication studies"って学科があるのだけど、今朝の授業はその学科の入門講義。
結構若い先生なのだけど、毎回すごく丁寧なパワーポイントを作ってくれているので、すごくわかりやすい。ドイツ語が聞き取れなくても授業の内容が分かる!
講堂で300人くらいを相手に授業しているのだが、さすがに「コミュニケーション」を専門にしているだけあって、生徒とのコミュニケーションの取り方も心得ている。
今日も、僕(皆?)の期待に違わず、授業の一番冒頭で米大統領選の話題を扱ってくれた。

扱ったといっても、授業の一番最初のパワーポイントに大統領選の結果を表した地図が出されて、政治はいつもメディアを通して伝えられるから、政治にも関心を払わなくちゃね、くらいのことしか言ってなかったのだけど、面白かったのはそのときの生徒の反応。
ちょっとざわざわ、ってしたけどそれ以上は何もない。
みんな、オバマが勝ってどちらかといえばうれしそうだけど、まぁ当然だよねぇ、という反応に見えた。

オバマ勝利の要因として「史上最悪の大統領ブッシュ」の存在が挙げられているのは周知の通り。
そもそもイラク戦争に明確に反対したドイツには、4年前のブッシュ再選には失望した人が相当数いたはずだ。
今回やっとアメリカ国民は正しい選択をしてくれたか。
その教室から流れていたのは、傍観者がよく持つような安堵と無関心の合わさった雰囲気だったと思う。

1年前プラハで会ったアメリカからの旅行者が、イラク戦争前後のことについて、
「今は、あの時の間違いを皆わかっているよ」
みたいなことを言っていた。
今、アメリカ国民は、今度は正しい選択をした、と思っているのだろうか?

もはや、国際問題における最大の焦点は外交問題から経済問題に移った。
結構な人が、
オバマ、勝ったのはいいけど、できるんならこの不況を何とかしてくれよ・・・
って思ってるんじゃないかな。

2008年10月26日日曜日

他中心的アジア主義?

今日は、大江健三郎の朗読会に行ってきた。
何でも、ドイツで"Sayonara, meine Buecher"(Sayonara, my books)という新刊の発売を記念したものらしい。
元の本の名前は何なのでしょう??

大江健三郎なんて読んだこともないのに、
(かつて読もうとしたときは、難しすぎて意味プーで、3ページでリタイアw)
どうしてドイツまで来て和書の朗読会なんかにわざわざ行ったかって、
そりゃぁ本人が来ていたから!

人の入りはなかなか。
300人は入るであろう講堂が、入場料10ユーロ(高い><)にも関わらずほぼ満席。
日本人も多かったが、7割方はドイツ人だったようだ。
それに、朗読会後には何十人もの人がサイン目当てに列を作っていた…
ドイツの人も意外とミーハーなのね・_・


けど、朗読会自体はドイツ語人の朗読家と大江健三郎が交互にそれぞれドイツ語日本語で本を読み上げる、
というもので僕にはさして面白くなかった。
ドイツ語だけならまだしも、日本語すらもわからなかったw
ドイツ語の前に、日本語学校にでも通おうかな。。

それに対し、質疑応答はなかなかおもしろかった
朗読の中でE.S.Eliotの引用があったのだけど、それに関連して、
どうして大江作品の中では日本人ではなく欧州の作家からの引用が多いのか?
という質問がこういう議論になったきっかけ。
その問いに対する大江の答えは、次のようなもの。


翻訳には、2種類ある。一つは、自分の主張を強化するために用いる。
もう一つは、自分の考えを引っ掻き回すために敢えて用いる。
自分の引用は後者のそれだ。

自分は、20歳の時から50年間以上、毎日欠かさず欧米の文学を日に1時間は読んできた。
その中で、始め自分の中の3分の1は「ヨーロッパ人」だと思っていたのが、
今は、98パーセントは「日本人」で残りの2パーセントが「ヨーロッパ人」だと思っている。
その2パーセントというのは、残り98パーセントの「日本人」を客観的に捉えるためだ。

元来自分は、昔からの「日本中心アジア主義」に異論を唱えてきた。
ヨーロッパの「他中心主義」のように、日本(アジア)においても「他中心アジア主義」がなければならない。
自分の作品は今まで、それを主題にしてきた。


要約すると、大体こんな感じ。
時間が短すぎて、何のことやらよくわからんとこがあったのだが、
ここで特に分かりにくいのは、
大江が現在の「日本人」というナショナリズムに異を唱えながら、
自分自身のことを98パーセント「日本人」だと言っている点だと思う。

大江健三郎が、自らの文学の主題を「他中心のアジア主義」としている点からして、
現代日本の自己中心的ナショナリズムである「日本人」は、
大江が自分の98パーセントを指して使う「日本人」とは違うもののはずである。
しかし、「日本人」という言葉がそれぞれ何を指しているのか、
今日の議論では明確にされていなかった。
(違うもののはずでありながら、大江自身もそこからは逃れられない、ということなのだろうか?)

大江健三郎の言う「日本人」とは?
「他中心的アジア主義」とは??


僕が、こういうアイデンティティの議論で苦手なのは、
例えば「普遍的なアジア主義が必要だ」、とかっていうのは簡単だけど、
それが何なのか、どうやったら可能なのか、まではよく分からないこと。
けれども、大江健三郎はそれを主題に小説を書いてきたのだから、
大江の言う「日本人」とか「他中心のアジア主義」とかっていうのの輪郭は作品に描かれているはず。
それに期待して、入手で来次第大江作品を読んでみよう♪

2008年10月24日金曜日

ものすごく単純に考えると…

まだ、原油価格が1バレル140ドル台だった時の話。

なぜ、原油価格の上昇が止まらないのか?
その理由として、中国など新興国における需要の増加に伴う需給の逼迫、という要素以外に
投機マネーの流入、という要素があるとすれば、
原油価格が上昇しているという現状がある限り投資家は原油を買い続け、
原油価格も上がり続けるのではないか。
それで石油輸出国やら日本なら商社やらが儲かる反面、
ガソリンが買えなくて本当に困る人たちはどうなるのか。

石油高が当分の間続くと、何の疑いもなく、
こんなナイーブなことを真剣に話し合っていた。

ところが、この状況はサブプライムをきっかけに始まった世界経済の不況突入によりあっさり打開された。
現在、原油価格は1バレル66ドル(ニューヨーク、10月23日)。

どうしたら原油価格が下がるのか?
資本主義が広まって以来、世界は好況と不況を繰り返している。
経済が後退すれば、石油に対する需要が減って価格も下がる。
今になって思う。自分にはこんな簡単なことが思いつかなかった。
(実際にはこんなに簡単ではないのだろうけど、少なくても「予測」はできてもよかったはず。
それでも、まさか1ユーロ160円台だったのが、120円台になるなんて…)

どうやら、こんな事態になろうとは全く思っていなかった人が、僕以外にもいるらしい。
原油価格の急落で、イランは財政赤字が拡大、サウジアラビアは来年度予算案の変更を迫られた。
僕がエール・フランスで買った1年オープン往復航空券の燃料サーチャージは約5万円、果たしてどうしてくれるのだろうか??


全然関係ない話なのだけど、
僕のバイトしていた塾では、赤ペンのインクが入ってなくていつも困ってた。
けれども、僕がインクなくて困るな、って思ってもそれをなかなか上の人に伝えない。
伝えても、一度伝えただけだとその人は動かない。
赤ペンで黒じゃないし、赤も見えないわけじゃないから、って僕もしつこくは言わない。
もし僕が自分で買うのが一番早いのだけど、
領収書をもらって、そのお金を請求しないといけないとなると面倒くさい・。・

これもどうやらよくある話らしい。
ミュンヘン大の授業で困るのは、
ホワイトボードに使うペンのインクがもう入ってなくって、
先生が書いた文字が薄くて読めないことがあるってこと。
ばかばかしいけど、ホワイトボードの文字が読めるか読めないかって、
聞き取りがなかなかできない僕には死活問題。

新しいペンがあればいい。
そんな簡単なことが、この世の中なかなか難しいことになってしまっている。

2008年10月12日日曜日

共通のアイデンティティ?

テニスがしたい!!!

って思いながらも、まだテニスできる環境を整えられないから、
とりあえず手軽に例の体育館で自由参加できるバドミントンに行ってみた。

さてはて、どんな感じなのかな?どんな人がいるのかな??みんなうまいのかな???
ドキドキで体育館の扉を開けたら・・・

ここはどこ!??
なんと、周りはほとんど中国人と思しきひとばかり。
実際、30人くらい人がいて中国人以外は僕とドイツ人がもう1人、、それだけw

中国に留学したのはKazushiだったよね!?僕はドイツだったよね!!??

まだ正確には把握してないけど、自分の住んでる寮には少なくても5000はいるはずで、
その中でバドミントンしたい人が中国人だけなはずない・・・

さすがにこの状況には閉口したけど、
実際混ぜてもらって一緒にプレイしてると、案外簡単にコミュニケーション取れた^^

(バドミントンに関しては、元プロいっくんに感謝。
大学で1学期間一緒にやっていたおかげで、バスケみたいに悲惨な状況にはならずに済みました。。
みんなうまかったけど、いっくんほど余裕綽々華麗にプレイする人はもちろんいなかった。)

コミュニケーション取るのに大いに役に立ったのは、漢字。
例えば、自己紹介で自分の名前を言ったときに、自分の漢字はこれ!
っていうだけで結構いいネタになる。


話は少しずれますが、
よく、ASEAN+3(日中韓)を枠組みにした地域共同体構築
(すっごく簡単に言うと、東アジア判EUを作ろう、ってこと)
の議論をするときに、東アジアにはEUみたいな共通のアイデンティティ(例えばキリスト教)
がなくて、もっと多様な文化だから無理、っていう見解があるのだけど、

もともとEUの場合、経済的協力(単一市場の形成)から今の政治的協力をも含む地域制度に発展したわけで、共通のアイデンティティは後付でしょう。
って僕は地域制度形成に共通のアイデンティティが必要って考えに懐疑的だった。
更に、ヨーロッパと東アジアを比べて、東アジアのほうが文化的に多様、って考えも怪しい、って。
周りの留学生はエラスムスってEU圏の留学生ばかりだけど、母語が違う人同士だと大してコミュニケーション取れてないし、特に、西欧諸国と旧共産圏の東欧とにはまだどこか距離を感じる。
そもそも、共通のアイデンティティって具体的に何??


今回わかったのは、少なくても日中の間には漢字って言う共通の文字があって、
それを使ってコミュニケーションをとることができて、
漢字っていう土台の元では、共通のアイデンティティってやつがありえるのかもしれない、ってこと。

だから、ひょっとしたら、EU圏の人は、自分たちの文化はもともとキリスト教っていう同じものを土台にしてて、その元では共通のアイデンティティを持ちうるのかもしれない。

けど、例えばドイツでキリスト教の神を信じているのは50パーセントに満たない。
共通の文化を土台にコミュニケーションできるっていうのは絶対あるけど、それは例えば宮崎駿の映画が好きなチェコ人とフィンランド人との間にも起こりうる話。
つまり、それは「国民」にゆだねられているのではなくて、「個人」にゆだねられてる。
ヨーロッパとか東アジアとかっていった地域内の「共通のアイデンティティ」っていうのは、決してそこに暮らしてる全ての人に共通っていう意味ではない。


まだ自分でも全然整理仕切れていないのだけど、誰かフィードバックしていただけたら幸いです。。