2009年1月31日土曜日

Überlegung über den 3. Weltkrieg

今日は、国際関係論の主要テーマである戦争について、ちょっと考えてみました。
日本語は下にあります、つっこみどころ満載なのでぜひぜひ突っ込んでくださいw

Ich studiere Internationale Beziehung.
Internationale Beziehung, es geht um, wie der Krieg entsteht.
Hier würde ich gerne einmal an die Möglichkeit der Ausbruch des 3. Weltkrieges denken.

Glücklicherweise bricht der 3. Weltkrieg noch nicht aus.
In der Tat können die Kriege nach dem 2. Weltkrieg so klassifizieren.
- Mächtiger Staat gegen kleinen Staat (Irak Krieg)
- Kampf gegen Terrorismus von mächtigem Staat (Afghanistan Krieg)
- Kleiner Staat gegen anderen kleinen Staat (Balkan Krise)
- Kampf gegen Terrorismus von kleinem Staat (Gasa-Krise von Israel)
Es gibt keine Kriege zwischen mächtigen Staaten.
Ich denke, dass es dazu drei Gründe gibt.

(1) In der Zeit des Kalten Krieges funktionierte die kollektive Sicherheit in Rahmen des Mitbewerbes zwischen der NATO und des Warschauer Taktes.
Durch diese Bipolarität wurde der Umstand, "balance of power" gehalten.
Nach dem Ende des Kalten Krieges ist die Bedrohung in Osten, UdSSR verschwunden und die draushin entstehende Unipolarität von den USA unterdrückt Kriege zwischen Großmächten.

(2) Es gibt ein Element, das weder während des Kalten Krieges noch nach dem Ende des Kalten Krieges verändert wird, und zwar Atomare Abschreckung.

(3) Die Großmächten wurden durch den zwei WeltKriegen schrecklich zerstört und beschädigt. Zahlreiche Leute sind ausgefallen. Diese Erfahrungen spielen eine Rolle bei dem Frieden zwischen den Großmächten.

Also, insoweit diese Bedingungen weiter gehalten wird, bricht weder der 3. Weltkrieg noch Kriege zwischen mächtigen Staaten aus.
Worauf steht dann die Gefährlichkeit, dass solche Kriege ausbrechen??
Es gibt schon ein negatives Element, und zwar Erscheinung der neuen kleinen Staaten, die Atombonben besitzen oder besitzen werden, wie Iran oder Nordkorea.
Sie haben keine Erfahrung vom Weltkrieg, und es kann sein, dass solche Staaten atomaren Angriff nehmen, wenn sie rationale Optionen weggeworfen haben.
Aber, wenn auch solche Länder atomren Angriff nehmen würde, würde es nicht zum 3. Weltkrieg kommen, weil keine mächtige Staaten sie unterstützen würden.

Möglichkeit des 3. Weltkrieges liegt in der Erscheinung der unrationale Aktuere, die Atombomben besitzen. Trotzdem wird der 3. Weltkrieg nicht ausbrechen, insofern die atomare Abschreckung aufgrund der Uniporalität von den USA weitergeht und die kollektive Sicherheit zwischen den mächtigen Staaten gehalten wird.


第二次大戦後、まだ第三次大戦は起こっていない。
第二次大戦後の戦争は以下のように分類できる。
・大国 対 小国 (ベトナム戦争、イラク戦争)
・大国 対 政府組織 (米国によるアフガニスタン侵攻)
・小国 対 小国 (中東戦争、バルカン危機)
・小国 対 政府組織 (イスラエルによるガザ攻撃)
以上のように、大国 対 大国の戦争は起こっていない。
これには、以下3つ理由がある。

(1)冷戦期には東西冷戦という枠組みの中で勢力均衡が維持された。また、冷戦後はアメリカによる権力の一極集中により大国間の平和は維持された。
(2)冷戦期も冷戦後も、核抑止は機能し続けている。
(3)大国、特にヨーロッパの大国において、2度の世界大戦の苦い経験が戦争を抑制する効果を果たしている。

このように、第二次大戦後、第三次大戦、大国間における戦争は起こっていない。
上の3つの条件が維持される限り、第三次世界大戦は起こらないと考えられる。
しかし逆に、それに当てはまらない状況から第三次大戦が起こる可能性が生まれる。
その一つの兆候が例えば、イランや北朝鮮など核兵器を所持している、または所持しようとする小国の出現である。
これらの国は世界大戦で酷く破壊された経験もなく、非合理的な核攻撃という政策を取る可能性がないとは言えない。
それでも、たとえこれらの国が核攻撃を選択したとしても、彼らを支援する国はないだろうから大国による集団的な反撃にあい、世界大戦には発展しないものと思われる。

このように、第3次世界大戦の可能性は非合理な主体が新たに核兵器を手に入れることで発生すると考えられるが、大国による核抑止と集団的安全保障が機能する限り、世界大戦は起こらないだろう。

2009年1月29日木曜日

トンネルを抜けると、そこは雪の名残り街


そんなで何しているの?
外の世界に出なくては。



でも、門の外はとっても恐いって。
天井から水の塊だって落ちてくるんだ。



「へい、らっしゃい、何にいたしやす!?
え、外の世界へ行くならあっちだよ、早く行っちまいな。」



トンネルを抜けると、
そこは雪の名残街・・・



あ、これが水の塊だね。
まだ地面に残っている。



あ、僕がいる!
いや、君はもうそんなに小さくはないよ。



JESUS Lebt!ってどういう意味?
みんなまだ若い、っていう意味さ。



まだ行くところはたくさんあるんだ。
ほら、しっかり靴紐を結んで!


2009年1月28日水曜日

アブラムシのその後


一昨日、アブラムシをたぶん30匹くらいは駆除した。
で、その時にぷちゅぷちゅ不必要にアブラムシを潰したことをうだうだ悔いた。
それだけいたらもちろん大量駆除から生き残ったアブラムシもいる。
けどその生き残りも、今夜僕に発見され、住処を追われることになる。

指と先の若干ほっそりした鍵とを使って、そっとアブラムシを唐辛子盆栽から取り除く。
そこでまた僕は、アブラムシをぷちゅってしたい衝動に駆られる。
衝動といっても、お酒ばっかり飲んでてお腹が空いたときに出てきたスナック菓子についつい手が伸びてしまう程度の欲求だ。
でもその時、僕は先日ブログでぷちゅってしない、と公言したことを思い出し、踏みとどまる。

そうして、唐辛子盆栽から駆除されたアブラムシは、机の上に落ちてそのまま放置される。
小さすぎて、手を出せばどうしても潰してしまうから、放置するより仕方ない。
ところがこいつら、なんだかよくわからないけど机の上にへばりついたまま動かないんだ。
そのまま動かなかったら死んでしまうよ。
そちたら、ぷにゅってしたい衝動を我慢した僕の努力はどうなるの?
っていうか、どうせ死んじゃったらぷちゅってしたのと変わらないじゃん!

ところが、パソコンの電源コードやら有線LANやらの上をつたって歩いているやつらがいるのを発見する。
どうやらアブラムシは、とりあえず管を見つけたらそれに沿って移動する習性があるらしい・・・
それで、唐辛子盆栽の一番成長した先っちょにたくさんうじゃうじゃしていたわけだ。
とすると、もともと唐辛子の先っちょからスタートしたらそのまま管をつたって地面に到着してどこかへ行ってしまうはずだから、こいつら空から降ってきたわけではない。
じゃぁどこから来たのか??
どこかから地面を伝って唐辛子盆栽までたどり着いてきたのだ。

そうだとしたら、運よく管を発見したアブラムシはどこか他の植物にたどり着くのだろうか・・・
まぁ僕には、アブラムシに対してその成功を祈る気持ちにもなれるわけでもないのだけれど。

2009年1月27日火曜日

あぁ、悔しい


今日、午前中に一つ授業があったあとはもっぱら図書館に篭っていたのだけど、
結局休憩といいつつ半分くらいは食堂で一杯70セントのコーヒーを飲んでいた気もする。

そんな風に食堂で友達とだらだらしていたら、
こういうの駒場っぽくて懐かしかったのだけど、それは置いておいて、
友達の知り合いっぽい人が来た。
その人は日本学の院生らしく、どうやら研究テーマは「人間の安全保障」だって。

マジで!?
「人間の安全保障」って駒場でばっかり盛り上がってるっていう噂を聞いていたのと、
その割には、夏前に東大出版から出たばかりの『人間の安全保障』の本がミュンヘン大の図書館にあるの見つけて興奮したりしてたところに、
まさかそれを専門にしている人に会うとは思わなかったから、すごくビックリした。

それで、当然「人間の安全保障」って何?
って話になるのだけど、一緒にいた5人のうち知っているのは僕だけ。
それで、僕が説明しだすのだけど・・・

Aus der neorealistischen Sicht ist die Zentralziel der Staaten ist die Sicherheit von den Staat, aber...

ここでリタイア。日本語でもうまく説明できないからなぁ。
けどせめてもうちょっとチャレンジすべきだった。
その後図書館に戻っても、どうやって説明できたのかばっかりに頭がいって、全然集中できない。
ドイツ語がわからないこと、話せないこと、に慣れていた今日この頃、
こんなに悔しいって思いにさいなまれたのは久しぶり。
この場を借りて、リベンジを果たそう。


Während aus der neorealistischen Sicht die Zentralziel der Staaten ist die Sicherheit von den Staat ist, konzentriert "human security" seines Ziel auf die Sicherheit von den Menschen.
Bei Kriegen fallen z.B viele Büger aus, die eigentlich kein Gegenstand des Angriffs sein muss.
Außerdem gibt es in der Welt so viele Leute, die werder Plätze zu schlafen noch was zu essen haben, oder dessen Recht unterschätzt werden, und zwar: keine Gerechtigkeit zwisschen Männer und Frauen oder kein Abtreibungsrecht.
Angrund dieser Situationen besteht der Begriff der "humansecurity" darin, diese Sicherheitsproblemen von den Menschen umzufassen.


あぁ、結局うまく説明できてないし・・・
出口が見えない~

2009年1月25日日曜日

凶器は牛乳



久しぶりの唐辛子盆栽。すくすく育っております。
と油断していたら!今日大量のアブラムシが寄生していることを発見。
殺生しました。しかも、凶器は水で薄めた牛乳・・・
本当、こんな多くの生命を自らの手で奪ったのは、、
小学校の夏休み、大量のセミを虫かごの中に押し込め翌日には全滅事件以来か。

手塚治虫の『火の鳥』で僕が一番好きな鳳凰編の中で、
主人公の我王は悪い盗賊で人を何人も殺し殺し、
最後には自分の妻までも殺してしまう。
ところが彼女は、昔我王が腕についていたのをそっと葉っぱに乗せてやったてんとう虫だった。
ここで我王は、命の大切さに気づく・・・

僕は、アブラムシを殺すべきではなかったのだろうか。
けどこれは、大切な唐辛子盆栽を守るため、仕方なく。
でも、一匹一匹とって外に放り出してやることもできたっちゃできた。
というか、手についたのを何匹かぷちゅって潰したしな。
牛乳で窒息しさせるなんていう残酷なことを平気で書いているWikiに責任はないのか。

人間の生命に対する考え方ってすごく恣意的。
今日も喜んでトンカツ食べたけどなんとも思わんかったし、
そのくせ鯨を食べるのは可愛そうっていう人もいる。
微生物も生命なんだから、一人ひとりの人間は実はたくさんの生命と同居してて、
たぶん今も体の中でその微生物が死んだりもしてるわけで、
僕に食べられた豚も体の中の微生物を自分もすべて含めて一つの生命みたいに考えたら、
最小単位の生命が消滅することなんて大したことないじゃなくなる。

手塚治虫は確か『火の鳥・望郷編』の中で、
地球全体が一つの生命みたいなことを言っている。
そうすると、人間が死ぬのも地球の中の微生物が死ぬようなもの、
人間の中で微生物が死ぬのと大して変わらないことになる・・・

盆栽の中だけのレベルで考えたら、やっぱりアブラムシは殺すべきじゃなかった。
盆栽の中には唐辛子の苗だけじゃなくて、土の中には他のいろんな微生物がいるだろうし、
アブラムシもいたし、そこで一つの生命系ができてた。
だから、もしアブラムシが苗を食い尽くしたらそれはそれでアブラムシ中心の生命系ができるというだけの話。

僕がアブラムシを殺したのは、唐辛子の苗を守ろうという恣意性から。
だから逆に僕中心に考えると、僕は生きるために唐辛子の苗を健やかに育てることが必要なわけで、
自分がこれからも唐辛子に癒されながら元気に頑張るために、苗を守ったまでのこと。
アブラムシの死も、僕という生命系の一部になっただけのこと。

これからもアブラムシは僕にとってやっぱり天敵。
けど、ぷにゅってするのはもうよそう・・・