2009年5月20日水曜日

旅行と写真


旅行中にたくさん写真を撮る。
旅行から帰ったらそれを整理する。
そうやって写真を見ているうちに、奇妙なことに、旅行の記憶が写真のイメージに置き換えられているような気がする。
つまり、その旅行の記憶が自分がその時その場で体験したものではなく、撮った写真を通してデータ化されているような感じがする。

例えば、山に夕陽が沈んでいくようなキレイな景色があったとする。
で、それをデジカメに撮ってモニターでキレイに撮れたのを確認すると、
次の瞬間にはもう夕陽に背を向けている。
旅行が終わった後もその写真を見直して、イメージが写真を通して固定されていく。

最近はそれに抵抗して、
もっと自分の目で記憶しろよ!って自分で突っ込みを入れてみたり、
旅先で文章を書いてその場で感じたことを記憶に留めようとしたりする。
でも、写真にしろ文章にしろ、体験をデータ化するってとこでは変わらないよね。

けど記憶のデータ化っていうのは、自分の感じたことをそのまま形にして残すことではない。
例えば、おいしい料理があったとして、それを写真に撮る。
いくら写真をとっても、その料理のおいしさ自体を記録できるわけではない。
けど、写真を見たらその料理のおいしさとか香りとか思い出せるかもしれない。
要するに、どちらにしろそれを後から見直したときに、その時自分が生で感じた記憶を呼び起こせるような装置であればいいと思う。

そうすると問題は、その装置を使わないと記憶を呼び起こせなくなってしまうかもしれないこと。
その装置がいつの間にか現実とは違う記憶をもたらして、間違った記憶が固定されてしまうかもしれないこと。
また、その装置では拾えないような大切な記憶が失われていってしまうかもしれないこと。

おいしい料理がおいしかったのは果たしてどうしてなのか。
食事前にキレイな夕陽を見たからかもしれない、
それまでファーストフードばかりでまともな食事をしていなかったからかもしれない、
ひょっとしたら、楽しい時間を一緒に過ごした人がいたからかもしれない・・・

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