久しぶりの唐辛子盆栽。すくすく育っております。
と油断していたら!今日大量のアブラムシが寄生していることを発見。
殺生しました。しかも、凶器は水で薄めた牛乳・・・
本当、こんな多くの生命を自らの手で奪ったのは、、
小学校の夏休み、大量のセミを虫かごの中に押し込め翌日には全滅事件以来か。
主人公の我王は悪い盗賊で人を何人も殺し殺し、
最後には自分の妻までも殺してしまう。
ところが彼女は、昔我王が腕についていたのをそっと葉っぱに乗せてやったてんとう虫だった。
ここで我王は、命の大切さに気づく・・・
僕は、アブラムシを殺すべきではなかったのだろうか。
けどこれは、大切な唐辛子盆栽を守るため、仕方なく。
でも、一匹一匹とって外に放り出してやることもできたっちゃできた。
というか、手についたのを何匹かぷちゅって潰したしな。
牛乳で窒息しさせるなんていう残酷なことを平気で書いているWikiに責任はないのか。
人間の生命に対する考え方ってすごく恣意的。
今日も喜んでトンカツ食べたけどなんとも思わんかったし、
そのくせ鯨を食べるのは可愛そうっていう人もいる。
微生物も生命なんだから、一人ひとりの人間は実はたくさんの生命と同居してて、
たぶん今も体の中でその微生物が死んだりもしてるわけで、
僕に食べられた豚も体の中の微生物を自分もすべて含めて一つの生命みたいに考えたら、
最小単位の生命が消滅することなんて大したことないじゃなくなる。
手塚治虫は確か『火の鳥・望郷編』の中で、
地球全体が一つの生命みたいなことを言っている。
そうすると、人間が死ぬのも地球の中の微生物が死ぬようなもの、
人間の中で微生物が死ぬのと大して変わらないことになる・・・
盆栽の中だけのレベルで考えたら、やっぱりアブラムシは殺すべきじゃなかった。
盆栽の中には唐辛子の苗だけじゃなくて、土の中には他のいろんな微生物がいるだろうし、
アブラムシもいたし、そこで一つの生命系ができてた。
だから、もしアブラムシが苗を食い尽くしたらそれはそれでアブラムシ中心の生命系ができるというだけの話。
僕がアブラムシを殺したのは、唐辛子の苗を守ろうという恣意性から。
だから逆に僕中心に考えると、僕は生きるために唐辛子の苗を健やかに育てることが必要なわけで、
自分がこれからも唐辛子に癒されながら元気に頑張るために、苗を守ったまでのこと。
アブラムシの死も、僕という生命系の一部になっただけのこと。
これからもアブラムシは僕にとってやっぱり天敵。
けど、ぷにゅってするのはもうよそう・・・
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