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2011年9月11日日曜日

宗教について考えたこと ~イスラエルを旅して~


2011年8月14日、テルアビブからバスで1時間も行くと、
そこには砂と岩だけの荒野が延々と広がっていた。
その光景は確かに壮大だった。
けれども、きれい、と素直に思える景色ではなかった。
なぜなら、そこに植物や生き物の気配がなかったからだ。



日本であれば、青空の下には深い森が広がっていただろう。
雲ひとつないのは、水気が全くない証拠だ。
「厳しい環境だからこそ、イスラム教のような厳しい宗教が生れた。」
とはよく言われる。でも、このイスラエルの地で
神の存在をどこに感じろというのか。
そもそも、どうやって生きていけるというのか。



それでも、この地に人は2000年以上前から暮らしてきた。
しかも、厳しい戒律を求めるユダヤ教に対し、
「許し」を施すキリスト教が生れたのはこのイスラエルの地だった。
けれども、日本のように何にでも神が宿っている、「八百万の神」
という考え方が生まれないのはよく理解できた。
この不毛の大地では、そんな悠長なこと言ってられない。



そんな厳しい環境の中、彼らを更なる絶望に追い落としたのは、
この死海だと思う。
荒野を旅した人々が、やっとたどり着いたオアシス。
のはずが、植物も育たない、生物もいない、
飲み水になる筈もない塩の湖なのだから。
では、そんな絶望の底で彼らは何に神(希望)を見出したのか?



この死海の光景を見た時、そのひとつの答えを出すことができた。
いくら生き物がいなかろうと、緑が一点たりともなかろうと、
この地球が織りなす光景というのは時に超絶に美しい。
たとえ、疲労と空腹に身を悶えようとも、生への意志ある者は、
美しいものに感動せざるを得ないのではないか。
その考えに至ったとき、すべてを超越する神の存在を信じる人々を
すんなり自分のなかに受け入れることができたような。

2011年2月14日月曜日

Kosovo Report (3) Mitrovica

Pizza in the north part of mitrovica,
where the Kosovo-Serbs live as majority.


Now I've finally finished my undergraduate thesis about german engagement to the european foreign policy. In this thesis I focused on the European Union Mission in Kosovo (EULEX) and argued that the mission lacks the mean to reconciliation between the Kosovo-albanians and the Kosovo-Serbs. However it is not the third party that should take actions. In this article I will just point out from my experience in Mitrovica that the history of Kosovo consists not only of the conflicts, but also of the co-existence of the two main ethnic actors in Kosovo.
Serbien church at the top of the moutain
in the north part of Mitrovica
At the park near the entrance of the north part,
where you can see the serbien flags in spite of the albanian flags.
Mitrovica is the simbol of the conflict between the Kosovo-Albanians and -Serbs. The city is devided into two parts by the River Ibar: the south Part is dominated by the Kosovo-Albanians and the north by the Kosovo-Serbs. If you go over the bridge to the north part, you cannot hear Albanian, nor use Euro, which is used as national currency in Kosovo, although the river is not a border, but just a river.
After having stayed in Pristina I went there with my japanese friend. Our bus from Pristina arrived at the south part of Mitrovica and we crossed the bridge, which was under controll by the KFOR soldiers.
Child in the north part of Mitrovica.
In a club in the North.
The most exciting moment came after the dinner at a restaurant in the north. We ate fish dishes and it was late at night around 23. We heard the beats of club music and went down there. We were welcome from heart, maybe because we were strangers there. We made cheers with Kosovo-Serbian guys and girls. What surprised us was not only the kindness of the people there, but also the islamic music, which also can be heard all over Kosovo including the south part dominated by the Kosovo-Albanians. When I saw the people dancing with that music, I figured out that the Kosovo-Albanians and Kosovo-Serbs share the same cultural background. Focused only on the Kosovo-conflict 1999, it would be difficult to have a look at the history in which the two actors live together at the same place. That wonderful experience at the club, however, made me notice the fact that they have lived next to each other over 700 years.











2010年9月15日水曜日

Kosovo Report (1) Pristina



2010年9月14日、イスタンブールからコソボへ向かう。2008年2月の独立宣言から2年半の経ったコソボはどんなところなのか・・・




空港に降り立ってまずびっくりしたのは、その規模の小ささ。飛行機は自分が乗ってきたのともう1機しか止まっていない。バッゲージクレームも二本しかない。
ちなみに上の写真は入国審査の様子。コソボ人、外国人の区別はなし。少し驚いたのは、出国時の関税検査。金属探知機は基本。怪しそうなやつはバンバンかばんを開けられている。もちろん自分もひっかかった。




空港の外に出ると、ん??どうやって市内まで行けばいいんだ!?目に入るはタクシー。でも、しつこい客引きとかはあまりいない。バスはないかと探すも、ない。というか、いつもなら空港にあるInformationに聞けば何でもわかるのだけど、Information自体がない。空港からバスがないのは、デンパサールに続いて2度目。仕方なくタクシーの客引きの話を聞く。1人は20Eur、もう1人は15Eur。そら後者でしょう。結局なんだかんだ、ホステルまでということで17ユーロになったのだけど、大体相場そんなところらしい。




ちなみに、タクシーからの風景はこんな感じ。草原の風景を基本に、ぽつぽつとレンガ造りの建物が散在している。草原の雰囲気もレンガ造りの建物もヨーロッパっぽいのだけど、タクシーの運ちゃんの音楽は完璧にイスラム風。



彼が、タクシー運転手のホンティ。彼は1990年から99年まで10年間、家族と共にドイツのデュッセルドルフで暮らしていたという。ミロシェヴィッチの圧制から逃げてきたのだろうか、詳しくは聞けなかった。
彼によると、紛争中多くのコソボ・アルバニア人がドイツに逃げたため、コソボ・アルバニア人の2分の1はドイツ語が話せるよ!お前はドイツ語ができてラッキーだ!と豪語していたが、今のところ彼以外にドイツ語を話す人にあったことはないw
ということで次回は、プリシュティナの不思議な街の様子を紹介します。

2009年6月5日金曜日

アウシュヴィッツ: Auschwitz schreit noch ruhig

5月は下旬、クラクフに行ったときに、クラクフの南にあるアウシュヴィッツにもいってきた。

今回のアウシュヴィッツでナチの収容所はベルリン・ザクセンハウゼン、ミュンヘン・ダッハウについで3度目だったのだけど、アウシュヴィッツはめちゃくちゃ規模が大きい、当時のままの状態で保存されている施設が多い、基本的に公式のガイドによるツアーが推奨されており展示品に説明が少ない、ってところが他の2つとぱっと見て違うところだった。

特にアウシュヴィッツ第2収容所、アウシュヴィッツ・ビルケナウでは当時のままの収容者の寝床、トイレ、破壊されかけたガス室兼焼却炉など見たのだけど、説明書きは一切なかった。

「ホロコーストよりも酷いことがあることしたら、それはホロコーストという事実を忘れてしまうことだ」

というようなことが、展示室内のあるところに書かれていた。
ただ説明を見て読み取って終わりでなく、
埃を被った木製の3段ベッドから、仕切りもなくただズラッと並べられた便器から、崩れかけた焼却炉から、
そこで何が行われたのか想像を強いることで記憶を心に刻み込む。

誰かにそんな風に言われている気がした。


Am 24. Mai war ich in Auschwitz.
Was mich dort schockiert hat, ist, dass ich nicht so schockiert war, wie ich einmal vor 6 Jahren im KZ Sachsen Hausen gewesen war. Damals war ich schrecklich erschüttert und konnte nicht ertragen, mir in die Augen Träne zu treten.
Aber dieses mal habe ich relativ cool Ausstellugen gesehen, wie z.B. viele Schuhen oder Haare, die die damalige Häftlinge getragt haben.

Warum war ich in Auschwitz nicht so tief ins Herzen erschreckt?
Im Vergleich zu Sachsen Hausen gab dort wenigere grausame Fotos, in denen z.B. viele Leichen aufgehäuft werden, die mir zum Weinen gebracht hatten.
Die Besonderheiten in Auschuwitz wären, dass die dahmalige echte Gebäuden oder Anlagen stehen bleiben, aber gleichzeitig dass es wenige solche Fotos gibt, mit denen man auf den ersten Blick erkennen kann, was da passiert ist.

In Auschwitz wird man gezwungen, sich vorzustellen, wie man dort gelebt hat und gestorben ist.
Ich war nicht schockiert, d.h. ich habe mir nicht genug vorgestellt, was für grausame Taten vollgebracht wurden.
Auschwitz erinnert mich daran, dass man nicht nur sehen, sondern sich daran denken soll, was dahinten steht.

2009年5月20日水曜日

旅行と写真


旅行中にたくさん写真を撮る。
旅行から帰ったらそれを整理する。
そうやって写真を見ているうちに、奇妙なことに、旅行の記憶が写真のイメージに置き換えられているような気がする。
つまり、その旅行の記憶が自分がその時その場で体験したものではなく、撮った写真を通してデータ化されているような感じがする。

例えば、山に夕陽が沈んでいくようなキレイな景色があったとする。
で、それをデジカメに撮ってモニターでキレイに撮れたのを確認すると、
次の瞬間にはもう夕陽に背を向けている。
旅行が終わった後もその写真を見直して、イメージが写真を通して固定されていく。

最近はそれに抵抗して、
もっと自分の目で記憶しろよ!って自分で突っ込みを入れてみたり、
旅先で文章を書いてその場で感じたことを記憶に留めようとしたりする。
でも、写真にしろ文章にしろ、体験をデータ化するってとこでは変わらないよね。

けど記憶のデータ化っていうのは、自分の感じたことをそのまま形にして残すことではない。
例えば、おいしい料理があったとして、それを写真に撮る。
いくら写真をとっても、その料理のおいしさ自体を記録できるわけではない。
けど、写真を見たらその料理のおいしさとか香りとか思い出せるかもしれない。
要するに、どちらにしろそれを後から見直したときに、その時自分が生で感じた記憶を呼び起こせるような装置であればいいと思う。

そうすると問題は、その装置を使わないと記憶を呼び起こせなくなってしまうかもしれないこと。
その装置がいつの間にか現実とは違う記憶をもたらして、間違った記憶が固定されてしまうかもしれないこと。
また、その装置では拾えないような大切な記憶が失われていってしまうかもしれないこと。

おいしい料理がおいしかったのは果たしてどうしてなのか。
食事前にキレイな夕陽を見たからかもしれない、
それまでファーストフードばかりでまともな食事をしていなかったからかもしれない、
ひょっとしたら、楽しい時間を一緒に過ごした人がいたからかもしれない・・・

2009年3月30日月曜日

サハラの縁

チュニジアに来た一番の理由は、一度砂漠を見てみたかったから。
それも、できることならサハラがいい。
なんてったってサンテグジュペリが不時着したところだから。

チュニスから夜行バスで8時間、Douzというサハラの北端の街に着く。
バス停の脇にあるのカフェで午前6時のカプチーノ。意外とおいしい。

Douzから更にバスで20分くらいだっけ、Zaafraneという村に行く。
ちょうど中学生の登校時間と重なり、入れ違いに子どもたちがバスで街まで集団登校・・・
っていうように本当に小さな村に唯一のホテルへ。
そのホテルが主催している砂漠ツアーに参加してきた。

今回ツアーに参加して分かったのは、
一、サハラは本当に広いらしいということ。
ラクダに乗って約1時間で砂漠に入っただけで、周りは砂の地平のほか何も見えず。
Wikiによると、それが東西5600km、南北1700kmに渡って広がっていると言うのだから・・・

一、砂漠に住むのは本当に過酷だろうな、ということ。
その日は昼から始まった砂嵐が出発時刻の夕方になっても結局収まらず、
本当に目も開けられなかった。
コンパクトカメラは、ポケットに入れていたにも関わらず、細かな砂にやられ壊れた。
以下の写真も、砂のせいで汚れてしまっているけど悪しからず><

一、星の王子とサンテグジュペリが砂漠で一緒にいたのは、
本当に穏やかな時期の砂漠だったのだろうな、ということ。
そんな砂嵐だったから、一晩砂漠でキャンプして帰った後には体中砂だらけ。
喉も砂と乾燥でやられたし、穴という穴に砂が入り込んで何日間か変な感じが抜けなかった。
もし、サンテグジュペリが王子と会ったときに砂嵐に遭っていたら、
そのことを書かないはずはないだろうと思う。




僕を背中に乗っけてくれたひとこぶラクダのアリババ。
14歳くらいで、たしか170キロくらいまで運べるらしい。



ラクダの上からの景色。
1時間で8キロ歩いて、全然疲れてない。砂漠の舟。



王子が初めて地球に降り立ち、
地球を去ったところ。



サハラの太陽。

2009年1月9日金曜日

Berlin (3) 夜のベルリン


異色

ヨーロッパの街は夜が一番きれいだと思う。
概して、ライトアップされたきれいな
ヨーロッパ的な建築物だけが浮かび上がるからなのだけど、
ベルリンだけは異色。


遺跡

もちろん、古い建物も残っている。
けれども、ほかのドイツの街では当然のように遺されている
古い建物が、ここではまるで遺跡。
写真は、カイザーヴィルヘルム教会。
第二次大戦で破壊されたままに遺されている。


摩天楼は突然に

ここは、ポツダマープラッツ。
かつてはヨーロッパの中心とも言われたが、
ドイツ分裂と共に東西ベルリンの境目となり、
20年前までは何もない空き地だった。


暗闇にまぎれて

ここはどこ?
彼はいったい何を考えているのでしょう??
http://www.goethe.de/kue/arc/dos/dos/zdk/ja3581894.htm


名無しの駅

これもベルリン。
だからこそ好き。

2009年1月7日水曜日

Berlin (2) Hackersche Hoefe

結局ベルリンには3泊4日したのだけど、だいたい朝まで飲んで夕方まで寝るって生活でした・・・
これじゃいけん!!ってことで唯一観光っぽい観光をしたところがハッケシャーホーフ
今日は、このベルリンで一番のクールスポットを紹介させていただきます。




僕にとってうれしいのは、かっこいい写真の展示がいたるところでやってること。
写真だけじゃなくていろんなギャラリーがたくさんあって、好き勝手はいったりでたりできる。
路地の奥に、こんなとこはいっていいの!??ってとこにも隠れ家みたいなのがある。
さりげなくアンネフランク記念館とか、昔盲目の人のために裁縫事業を起こし、皮肉にもナチにも製品を提供していたユダヤ人の記念館とかもあったり。
なかなか面白い展示が、基本的にすべて無料なのが素敵過ぎる。




今回一番面白かったのは、Cicero Galerieってとこでやってた
Jan Banningって写真家の"Bureaucratics"
写真は、2階にあるギャラリーに上る階段の壁。

世界のいろんな街の公務員が自分のデスクに座っているのを撮って、
仕事、その役割、収入、とかちょっとキャプションをつけて展示していた。
単純に、国によって月収に100倍くらい差があるのも衝撃的だったし、
ほかには例えばアメリカの公務員のデスクにはPCが置いてあるのに対し、
インドの公務員の後ろにはパピルスかよってくらいぼろぼろになった紙の資料が山積みだったり、
リベリアの公務員のデスクには、机があるだけでほかに何もなかったり・・・




ハッケシャーホーフには、おしゃれなお土産屋さんもたくさん。
写真の箱は石鹸。
DDRっていうのは、Deutsche Demokratische Republikの略。
さて、これは東ドイツ、西ドイツ、どちらのことでしょう??
ちなみに、もう一方はBRD、Bundesrepublik Deutschlandの略。
そして、この箱のDDRは、Dusch Dich Richtigの略。
訳は、「しっかり体洗ってね♪」



ハッケシャーホーフの面白いのは、
建物がとても入り組んでいて、底が見えないこと。
歩けば歩くほど、ちょっと勇気を出して、ここ行っていいのか!?
って奥に入れば入るほど、面白いものにぶち当たる。
写真は、去年ベルリンに留学してた新○田が教えてくれた謎のオブジェ。
コインを入れるとどうなるかって??
それは実際に行って試してみてくださいな♪

2009年1月6日火曜日

Berlin (1)大晦日@ベルリン

師走も終わりに差し掛かったある日のこと・・・

ある友達 「Shohei,大晦日ベルリン行くけど一緒に行く??」
ぼく 「うん、行く行く」

そういうわけで、大晦日inベルリンが実現したのでした。
アウトバーンをぶっ飛ばすこと5時間くらい、最高時速200キロ、
さすがドイツ、って思ったら乗ってる車はSUZUKIだったりw
ミュンヘンではクリスマス後早々と撤収されたイルミネーション煌くベルリンの2008年12月31日。

ってベルリンまで来たのに!
大晦日どこにいたかって・・・




地下鉄の中、笑。
本当は、ブランデンブルグ門でやってるイベント見たかったのに・・・
まぁ、これはこれで一興。
地下鉄の中でカウントダウンすることも、シャンパン開けることも、人生に一度っきりでしょう。

前にベルリンに留学していたY形先輩から、
大晦日のベルリンで、「外国」を一番強く感じた
というようなことを言われてピンとこなかったけど、
実際に体感してみるとまったくその通りだった。

Hermanplatz、2009年1月1日午前0時10分


地下鉄を出ると、ここはいずこか、湾岸戦争をテーマパークにしたみたいな光景が広がっている。
(不謹慎な例えかもしれません。実際のがこんなもんじゃないであろうことは百も承知です。)
いたるところで人々は抱擁しあい、
なかなか大規模な花火がドンパチドンパチひゅ~ドロロ。
経済危機なんて糞食らえのお祭り騒ぎは朝まで続いたのでした。
というか、1日の夜まで続いていたのでした、笑。

2008年12月30日火曜日

Strasbourg, (3)Strasbourg as a city on the border

もう何度か言ったとおり、
ストラスブールはドイツとフランスの国境にあります。
そして、
この国境を歩いて渡る!!!
というのが、今回の旅の中で一番したいことだった、といっても過言ではないでしょう、実は。




国境としてのライン河


アルザス・ロレーヌ地方は常に独仏対立の焦点であり、
つい60年ちょい前まで、ストラスブールは国境のこちら側とあちら側とを何度も行き来してた。
それが今では、誰もがその国境を自由に行き来できる。
教えてもらわなければ、それが国境だとも気づかないくらい。
南北朝鮮の38度線をイメージしてもらえれば、これがどんなにすごいことかわかるはず。

けれども同時に、国境のドイツ側の街、Kehlに行けばそこはもうドイツ語の世界。
いくら自由に行き来できても、そこには国境が確固として引かれており、国家の支配が人々に及んでいることを感じる。




ケパブ屋はいつも不思議


帰り際、Kehlのケパブ屋に寄ってみた。
けれどもそこにはどこにも「ドイツ人」らしき人はいない。
店員さんは皆イスラム圏の人のように見える。
中には、フランス語しかできない人もいる。
お客さんは、ストラスから来た「フランス人」に見える。
そこで、バックパックを背負ったアジア人がおいしそうにケパブをほうばる。
そこに広がるのは、誰が何人とかなんちゃらとか言うのはもはやナンセンスな不思議空間。



ちなみに、ここのケパブはかなりおいしかったです。
ストラスブールに行った方は、ドイツ側の街Kehlへの国境越え、
さらにKehlの大通りをまっすぐ進んで右に入るとあるこのケパブ屋がおすすめ。
なんと、パンが自家製手作り、ふわふわもちもち、お肉もほんやりやわらか♪

暇をいいことに、Flickrに写真をアップしたので、よかったらご覧ください。
http://www.flickr.com/photos/8108639@N02/sets/72157611796936199/

2008年12月29日月曜日

Strasbourg, (2)Christmas in Strasbourg

どうしてわざわざクリスマスの時期にストラスブールに行ったかって、
学校は23日で終わりだし、
ヨーロッパからの留学生はみんな国へ帰るって言うし、
ドイツ人の友達はみんな実家に帰るって言うし、
アジアからの友達はみんな旅行するって言うし、
要するに、ミュンヘンいてもな~んにもすることがなかったので、
なつかしのストラスブールに留学中の友達に会いに行ったわけです。

しかし、彼は僕に、
「本当にクリスマスの時期でいいの???」
と念を押します。
その訳は、イブの夜はケパブ屋しか開いてないって事実からわかるように、
大体のお店は閉まってしまうからな訳です。
いや、最後までケパブは僕を裏切りませんでしたw
ケパブさえも背を向けたというケンブリッジのSoさんには、気の毒としかいいようがありませんww

ということで、夕飯をイスラム圏の人々と共にした後は、
ストラスブール大聖堂でのミサに参加してきました。
本当、信者でもないのに行っていいのか?って気が引けましたが。
午後11時半開始、ほとんど感覚は「行く年来る年」に近い気がします。
パイプオルガンとバイオリン、聖歌隊の織り成すバッハやモーツァルトはα派でまくりで、
本当によく眠れました。
本当に本当に申し訳ないです。



それでも、毎年、おそらく何千年も、
世界のあらゆるところで、
クリスマスにこうしてミサを行ってきたということには、、、

2008年12月28日日曜日

Strasbourg, (1)"France" in Strasbourg

ストラスブールは、ドイツとの国境の街であります。
かの、アルザス・ロレーヌ地方。
世界史をやった人なら誰しもおぉっと反応するでしょう。
まさに、ドイツ・フランス領を行き来した、かの地であります。

詳しい歴史は世界史の教科書やらWikiやらに任せますが、
とにかく名前もStrasbourg、どこかドイツらしいじゃありませんか。
Strasbourg、ドイツ語ではStraßburg、
Burgとは、Salzburgなどと同様、「城」を意味する言葉、
StraßとはおそらくStraße(通り、英語のstreet)から来た言葉、
すなわち、交通の要所であったことはわかりますが、
どことどこを、または何を、結ぶ街だったのでしょう??
ご存知の方、お力添えください。。

とにかく、そんなドイツに近い街でありながらも、
「やっぱりフランス!!」って感じた瞬間をいくつか紹介しようと思います。


まずこれ!
フランス語がわかる人なら誰もが納得でしょう。
ま、僕はフランス語わかりませんがw
どうして、英語の"home"っぽく見えるのがフランス語では"人"って意味になるんですか!??

フランス語わからない派のために、
この駅の名前は「人権」です。

ps. 写真に写っているのは、ストラスを案内してくれた人たちです。本当にありがとう。



これは、クリスマスマーケットに並ぶ人形。
この中で自分に、または誰かに、似ている人を見つけると幸せになれるだかなんだか・・・
フランスには、ドイツに比べて肌の「黒い」人が多いと思います。
といっても、パリとストラスしかフランスの街は行ったことありませんが。
さすが、「自由・平等・博愛」の国です。



ここからは、かなり受け狙いですw
ミュンヘン同様、ストラスの冬も寒い!!
氷点下の寒さの中、カフェで僕は少し甘いコーヒーが飲みたい!!!
と思い、Kafee mit Sahne(クリーム入りコーヒー)のつもりで頼んだCafe Creme
Cremeって、てっきり生クリームのことだと思っていたけれども、、
違うんですねww



この写真は、
クリスマスの後、すなわち24、25日後の薬局開店前の様子を写したものです。
いや、ヨーロッパにおけるクリスマスは家族で祝うものと聞いていたのですが、
まったくその通りのようです、笑。
なお、このネタの裏はとれていませんので、誤解なさらぬようwww


2008年12月27日土曜日

Strasbourg, (0)Buddha in Christmas

24日から26日まで、
フランスはドイツの国境の街、
ストラスブールに行ってまいりました。

ストラスブールで一番印象に残ったのは、
クリスマスマーケットで見つけたこれ!!





水晶玉を手にちょっとニヤケ気味の仏さま。
いよいよ宗教間の争いはなくなるか!?


というわけで、次回もクリスマスINストラスブールの様子をお伝えします。

2008年10月24日金曜日

Wolkenmeer




森の隅
今日、雨は降っていない



オーストリアとドイツの国境ドイツ側の森
日本にもあるような森。
だけど、どこか違う。



雲海
登っていくと、突然霧が晴れる。
眼下に見えるは、これ以上ないくらい海っぽい雲。

日本の森みたいな深さ、密度の濃さ、はないけれど、
日本にはないスケールの大きさがある。
これだけ見事なのが観れるのに、
ドイツ語に「雲海」に相当する言葉はなく、
ただ「霧」としか認識されていないのには驚き・・・
「雲海」って考え方、しっかりドイツで広めてきましたw

2008年10月13日月曜日

I love Taketa

もう大分前の話になるのだけど、前の夏休みに国交省の地域づくりインターンというので、大分県は竹田市に2週間滞在した。
「国交省のインターン」といって何をやっていたかというと、竹田市役所の観光課及び竹田研究所の方々のお世話になりながら竹田市の観光名所を巡っていただけでありますw
毎日観光地に連れて行ってもらい、おいしいご飯をご馳走になり、たまにトマトジュースとかステンドガラスなんか造ったりして、夜はホームステイ先でおふくろの味を満喫しながら黒霧島をいただくという毎日でした^^
(写真は、岡城址へと続く道)


あ、生まれて初めてスナックにも連れて行ってもらったw
カラオケ行こう!24時!!
っていうからてっきり24時までで解散するからそれまでカラオケしよう、
って意味かと思いきや、連れて行かれたのは「スナック24時」だった、笑。


竹田には、岡城址あり城下町あり、久住高原あり直入温泉あり、
(日本一の炭酸泉を謳う直入のラムネ温泉は、東大生産研の藤森照信氏設計だそうな)

社会基盤専攻の人にはたまらない!白水ダムがあるのもここですよ。

水がめちゃくちゃおいしいから野菜がおいしい。
写真は、もう他のを食べる気がなくなるくらい、障害で圧倒的においしかったオムライス☆
(沸いた水から小川ができてるんだけど、その水を川から直接飲めるのには感動した)
とり天って鶏肉に小麦をまぶして揚げたのもおいしい。
(大分では各とり天屋がしのぎを削りあい、KFCが入り込む隙間はないだとか。。)

それに、森が深く神秘的、
(実際、久住高原は神話発祥の地)
空気もおいしく、棚田もきれい。

とにかく、観光地としてあるものはかなりレベル高い。
(っということで、竹田で撮った写真をアップしたので、是非見てみてください!!
きっと、どんなにステキなところか少しは分かってもらえるはず。
http://www.flickr.com/photos/8108639@N02/sets/72157607940413170/
右サイドバーにあるリンクからも飛べます。)


ところが、、
まず如何せん交通の便が悪い。
電車だと、大分市から1時間以上、頑張って電車で来ても、車がなけりゃ温泉にも高原にも行けない・・・
実際、石油価格の上昇で観光客はかなり減ったらしい。
基幹産業は農業なのだけど、儲からないし、高齢化率が異常に高く、後継者がいない。
竹田市には高校までしかなくて大学はないから、若い人は大学進学で街を出て、そのまま帰ってこない。
というような、人がいないと産業が成り立たないし活気もないし人が来ない、という悪循環から抜け出せない。

したら、どうやったら観光客を呼べるか、って考えたときに福岡しか見ない。
もともとのパイを大きくしようという発想が希薄だから、、竹田市がどんなに差別化を図っても他の観光地と客の取り合い、
たとえ仮に竹田市に人が来たとしても、日本の他の町が廃れる・・・

今、日本の偉い人たちが日本に移民を受け入れようという方向に動いている理由を少し実感した。
だからといって、自分は移民を受け入れることにも一概に賛成できないし、
じゃぁどうしろ、って言われてもどうしようもないし・・・


明日から、やっとこさ授業が始まります!!
とりあえず勉強します!!!

2008年9月24日水曜日

アグレッシブな小便小僧

昨日、一昨日でブリュッセルとルクセンブルクに行って来ました。

今、EU as a global actor?
と題されたセミナーに参加していて、ブリュッセルとルクセンブルクには欧州委員会とか欧州議会とかとにかくEUの重要な機関が置かれているので、それを見に行きました。

バスで行ったんですけど、ブリュッセルに入って最初のインターチェンジのお土産屋さんで見つけたのがこれ、

定番ですね、世界3大ガッカリスポットの一つ、小便小僧をモチーフにした置き物。

これはまだいいんですけど・・・









これはないでしょう。

アグレッシブすぎます。

前衛的な芸術と言われればそう見えなくもありません。
(村上隆http://gallery.lammfromm.jp/images/200001300049.jpg)

ちなみにこれは、4.9ユーロです。

楽しむのもほどほどにしなくては、と思わずにはいられませんでした。

2008年9月22日月曜日

Legend of Rock

昨日、Otzenhausenって電車も通ってない街の"Legend of Rock"ってライブに行って来ました!!

まずは、はじめのバンド。曲はよく知らないけど、2・30年前です、って感じ。
心なしか、お客さんの年齢層も高め・・・

ってかこのギターのおじさま、明らかに太ってて毛も薄くなられてるんですけど、すごいんです、指の動きが。


あ、ちなみに会場は町の体育館のようですw















さて、2時間の熱演の後、次のバンドが来ました。
2つ目のバンドのほうがポップなのやってた感じ。


左の男の人、はじめはクールに見てたんですけど・・・


















踊りだしちゃいました。地元の女の人たちと一緒に。

なんか、この雰囲気わかるかな。
                          
こういう風に心の底から状況を楽しめるってほんとすごい。