ちいちゃな、ちいちゃなモモが、誰もがうまくできないけれども、モモだけができたことは、
話を聞くこと。
ぜんぜん特別なことじゃないでしょ、
この本を読んでいる多くの人は、おそらくこう思うでしょう。
誰にでもできる、って。
それは違うよ。
本当に人の話をよく聞くということは、ほとんどの人にはできていない。
それが、モモにはできた。
モモに話を聞いてもらうと、
どんなにおろかしい人でも、思慮深く考えることができる。
そこまでたどり着けるように、何か話したり訊ねたりするわけではないよ。
ただそこに座って、じぃーっと耳を傾ける、
ありったけの関心と思いやりをもって。
その大きな黒い瞳ですぅっと見つめられると、
想像するのは難しいだろうけど、
モモがふぅっと自分の中に入り込んでくるような、そんな感じがする。
モモに話を聞いてもらうと、
どうしたらいいかわからず途方にくれていた人でも、自分の道を見据えることができる。
内気で臆病な人が、突然快活で勇敢な気持ちになれる。
不幸に気の滅入っていた心が、自信と喜びに満ち溢れる。
もし誰かが、自分の人生は間違いだらけだった、生きてる意味なんてない、
自分の姿なんて他の人に埋もれて見えやしない、
誰も自分を頼りになんかしてない、
壊れたやかんみたい、いつでも取替えもきく、
そんな風に思っていたら、
モモのところに行って、全部話を聞いてもらうといい。
そうしたら、話しているうちに、
自分の考えはてんで間違っていたって、
今いる自分がかけがえのないって、
この世界に自分がいることの意味だって、
なんだかわかってくる。
モモが話を聞くことができるっていうのは、そういうこと!
ミヒャエル・エンデ,『モモ』
14・15ページより
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ここ1週間くらい、家帰った後はもう全然やる気でないし、
本屋さんで買っておいたモモの目に留まったところをちょっと訳してみた。
「話を聞く」って訳してあるのはドイツ語だと"zuhoehren"。
英語の"listen to"に当たるのかな。
辞書を引くと、「耳を傾ける、傾聴する、注意深く聞く」ってでてくるのだけど、
もともと"hoehren"が英語の"hear"で、
"zu"っていうのが方向とか対象を表す英語の"to"に当たる言葉だから、僕のイメージだと、
自分から耳だけびよ~んって伸ばして、音の出ているところにできるだけびたぁ~って近づけて、聞く、
っていう感じ、笑。
明日から試してみようw
2014年の振り返り
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2014年は、自分の能力不足を痛感させられる年だった。そしてこの能力不足の実感というのは、今までの僕の人生の学びと本質的に異なる学びであった。これまで僕が同種の実感をするときには、
*僕の中ですでに明確な目的があり、それを達成するために必要とされている能力が欠如していることを実感する*
という類のものだった。しか...
10 年前
2 件のコメント:
試してみるわ!
12月21日に出発!新世界に行きまつ。
やべぇ、自分で言っときながら全然できなかったわ…
ってか、ドイツ語わからんww
明日こそは。。
よい旅を!!!
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